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ホルムズ海峡の遥か上空で


カタール行きの飛行機はテヘランを飛び立ち水平飛行に入る。シートベルト着用のサインが消えて乗務員が慌しく食事の準備を始めた。「ビール」「こっちもビール」気がつくと周りはインド人の団体。イランでの禁酒生活が解け、飛行機の車輪が滑走路から1センチでも浮き上がったらビールを飲んでやろうという熱気を感じた。しかし、まだ朝10時ですよ。「おねえさん、ビールおかわり」おいおい、飲むのはやいな。居酒屋か。しかし、ちゃんと次のビールが出てくる。「お飲み物は何に致しましょう?」僕のところにCAがまわって来た。「えーと、コーヒーをください」「お客様、あいにくコーヒーは用意しておりません」え?冗談・・ですよねぇ。僕は苦笑して窓の外を見た。
おや?「機雷掃海」で話題になっているホルムズ海峡だ。日本から飛行機で11時間。遠い。いったいここの機雷が日本国民の生命をどう脅かすんだろう?で、どこの国がここに機雷を撒くのか?イラン?何のために?アメリカとの雪解けムードのイランに2週間滞在した身としてはなんとも想像し難かった。


余談が長くなった。今回は本の話。円安になって洋書の電子書籍から遠ざかった。僕の読書はすっかり紙の和書に戻ってしまった。
ずっと気になっていた「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」(矢部宏治著)を読んだ。内容はズバリ題名の通りなのだが(笑)近年「アメリカの公文書館」から出てきた日米の戦後の密約に関する記述を元に、取材を交えて詳細に書かれている。読んだ後で気がついたのだが野党の政治家もニュースキャスターも割とこの本に書かれていることを周知の事実として扱っている。この本がベストセラーだという証か、あるいは僕が余りにも知らな過ぎたのか。ネタばれになってしまうので、今の政治の問題に絡めて三点だけ触れたいと思う。


日本国憲法はGHQによって書かれたのだそうだ。僕は日本の偉い人たちによって戦後のある日、ポンと制定されたのだと思っていた(笑)いずれにせよ国民の権利を守り、権力の暴走に厳しく歯止めをかける憲法を自ら勝ち取ったという本来の過程を辿っていないから、割と多くの人たちが「お上から与えられた規則」程度の認識しか持っていないのかも。しかし、たとえ与えられたものであっても憲法は常に国民の手の中にあり、国の法体系の最上位になくてはいけない。改正が必要なら国民の発議によって改正されるべきなんだろうなあ。
憲法解釈会見や与党が無理やり採決に踏み切ろうとしている安保法案などを見ると、現政権にとってもまた憲法は与えられたものであり、非常に軽んじているのがよく解る。国民の憲法を無神経に手に取り「この角度から見ればセーフなんじゃない?」とやっている。権力側には憲法に手をつける権利も自由に解釈する権利もないのに。全くおかしな話である。


さて、先ほど書いたように憲法は国家の法体系の最上位にあるべきものなのだが、日本の現実はそうじゃないらしい。本書では砂川裁判が例に取り上げられている。1959年、米軍立川基地拡張の反対派が基地内に進入、捕らえられ裁判になった事件だ。東京地裁では駐留米軍は違憲、反対派は無罪、との判決が出たが、最高裁で覆った。
最高裁の出した判決は「日米安保のような高度な政治の問題については、最高裁は違憲か合憲かの判断はできない」というものだった。統治行為論というのだそうだ。簡単にいってしまえば「日米安保や米国との取り決めは日本国憲法よりも上にあるのだよ」ということを日本の最高裁が認めてしまった。さらに本書によれば、最高裁裁判官が裁判の前に無罪判決を破棄する旨をアメリカ側に伝えたという。「砂川裁判というのは日本の司法の汚点なんだな」というのが僕の至った認識だ。ところが、安保法案の質疑を見ていたら、防衛大臣が「集団的自衛権」の論拠として砂川裁判を持ち出していたので驚いた。はて?砂川裁判の判決で集団的自衛権について述べられていただろうか?


最後は沖縄のこと。おりしも沖縄戦から70年。メディアでは様々な特集が組まれている。大戦末期に本土の政府が沖縄の人たちに強いた苦痛を、防空壕に逃げ込んだ人たちや白梅看護隊の方たちの体験談を通してあらためて知った。
僕には知識が圧倒的に不足している。しかし「嗅覚」は持っている。そして「なぜ?」と疑問を持つ。
真栄原で見た爆音をとどろかせながら離着陸する米軍機、コザで住民が話していた軍住宅地と片寄せあう市民たちの生活環境の圧倒的な違い。僕が身をもって感じた様々な疑問に対する答えが全部本書に書かれていた。


沖縄は本土の政府から見捨てられ、戦後は基地存続のために日本政府「自ら」が身代わり地蔵のようにアメリカに差し出した。沖縄だけではなく本土の米軍基地駐留も、実は日本政府の上層部の意向だという。
戦後70年が経とうとしているが日本の現政権はどうだろう?本当に欲しがっているのかどうかもわからない「手土産」を持ってアメリカに出向き、調子の良い約束をしてくる。自国の国民の意見は黙殺。沖縄の人たちにはもっと厳しい。今も延々と同じことをやっている。必要なのは「戦後体制からの脱却」ではなく「戦後体制をもっと深く精査すること」なんじゃないだろうか。
もちろん僕は本に書かれていることのすべてを信じるわけではない。しかし、繰り返すがこの本はアメリカ側の公文書をもとに書かれている。一方、日本ではすべては闇の中に葬り去られ、文章は黒く塗られる。未だに日米の安保法体系による得体の知れない陰の圧力が政治の世界に働いている



2015年7月記



今日の一枚
” ホルムズ海峡の遥か上空で ” イラン 2013年




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