真栄原社交街
2002年の夏、僕は沖縄にいた。路線バスに乗っていると印象的な風景に出会った。宜野湾の密集した住宅地の上を軍用機が掠めるように飛んでいる。どうやら普天間の飛行場に程近いらしい。
たまたま視線をやった道路端の横丁の門にでっかく「真栄原社交街」と書かれていて、僕はその「社交街」という響きにつられてバスの降車ボタンを押した。
さっき通り過ぎた門に向かって歩いていると、通りがかりの男に声を掛けられた。
「オイ、兄ちゃん。カメラぶら下げて何撮ってんの?ダメよー、こんなところで写真撮ってちゃ。女か?女撮りにきたのか?」
頭上を着陸態勢の飛行機がひっきりなしに飛んでいるからよく聞こえない。でも、僕にはそう聞こえた。
「はあ、まあ」
どういうことなのか、さっぱり解らなかったのでとりあえず生返事だけしておいた。
けれども、門をくぐって真栄原社交街に入るとその意味がよくわかった。そこはいわゆる置屋街だった。その風景がなんだかすごい。細い道の端にはバラックのような長屋があって、ストゥールに腰掛けた客待ち(あるいは客引き)の女の娘が脚を組んでタバコをくゆらせながら通りを眺めている。
まだ日没には間があるけだるい夏の午後。その上空を爆音を上ながら、およそ2、3分おきに軍用機が低空飛行する。
こ、これは昭和何年ごろの景色だろうか?「終戦直後」というのを僕は知らないが、おそらくこんな風景だったのではないか。
正直、真栄原社交街の風景はかなりショッキングだった。けっこう世界のあちこちの風景を見てきたつもりなのに、日本にこういう風景が残っているとは思ってもみなかったからだ。まるでそこだけ時の流れに浸かるのを拒否しているかのよう。
月日は過ぎた数年前、新聞に真栄原のことが載っていた。戦後、基地と共に生まれたこの「負の遺産」に対して警察が売春行為の取り締まりを強化したという記事だった。あの横丁の風景も今はずいぶん変わったかもしれない。
しかし「あの長屋街を称して『負の遺産』とはちょっと背負わせる十字架が重いのではないか、沖縄にはもっと大きな負の遺産があるのに」というのが記事を読んだ僕の率直な感想だ。
さて、真栄原の隣にあった「大きいほうの負の遺産」のひとつがこのたび引越しをするらしい。こちらは単なる「引越し」だ。けれども引越し先がなかなか決まらない。負の遺産だからしておそらく好かれるハズもない。
2010年5月記
今日の一枚
”低空飛行する軍用機” 日本・沖縄県宜野湾市 2002年
ホルムズ海峡の遥か上空で |