<< magazine top >>








マリから来た男


アフリカにはまだまだ行きたい場所がある。マリもそのひとつ。なんだか近所のスナックのような名前だ。その場合のスナックはやはり「すなっく」と平仮名書きにしたほうがいい・・・そんなことはどうでも良い。
マリ共和国はアフリカの地図を広げるとセネガルの東隣、ちょうど蝶のような形をした国だ。北東部はサハラ砂漠で真ん中をニジェールという川が流れている。川は乾季には干上がり、雨季には大氾濫を起こす。
意外にも観光スポットがある。ドゴン族の集落と伝統舞踊、ジェンネの泥でできたモスク、かつてサハラの交易によって繁栄を極めた黄金の都トンブクトゥなどはわりとよく知られた観光地かもしれない。しかし、地方の部族間対立や政情を考えるとそれほど気軽に行ける場所でないことは確かだ。


僕がこの国に興味を持ったきっかけは音楽だった。荒涼とした大地の中のいかにも人口密度の希薄そうな国にしてはメジャーなミュージシャンを輩出している。ただし、僕がここで言うメジャーというのは、あくまでも「その筋で有名な」という意味なのでお間違えなく(笑)
真っ先に名前が挙がるマリのミュージシャンといえばサリフ・ケイタだろう。2番目にはおそらくアリ・ファルカ・トゥーレではないだろうか。そして、僕はアリ・ファルカの音楽が好きだ。彼はギターもヴォーカルもやる。そしてその音楽には「ブルース」のような響きを感じる。
不思議に思ってアメリカ人の友人に尋ねたことがある。「アリ・ファルカの音楽はブルースのルーツなの?」すると彼はこう答えた。「音楽というのはね、互いに共鳴するものなんだよ。だから、違った文化に触れた音楽が別の音をまとって帰ってくるという繰り返し。互いに影響し影響され合ってるということじゃないのかな」
つまり、俗説の通りアメリカの黒人の労働歌がブルースのルーツならば、アメリカで生まれたその音楽は再び海を渡りマリのミュージシャンに影響を与えたということだ。そしてアリ・ファルカのソンガイ語やバンバラ語で歌われるブルースが再びアメリカへ渡り評価をされた。なんだか面白い。


残念なことにアリ・ファルカ・トゥーレは2006年にこの世を去っている。今はもう古いCDやカセットテープを引っ張り出してきて彼の歌声を聴くしかなくなってしまった。アリ・ファルカはトンブクトゥの出身だそうだ。どうか、彼の音楽だけはかつての黄金の都のように風化して行きませんように・・・



僕がセネガルの田舎町で出会った白髪の男性はマリの出身だと言っていた。夕暮れ時、庭先でヘッドフォンを耳に当て音楽を聴いている彼にマリに興味がありいつかは訪れたいと僕が話すと、ペンで紙になにやら走り書きをしてくれた。住所と名前、そしてフランス語で書かれた短い紹介状。
「俺の友人がやっているバマコ(マリの首都)のホテルさ。マリに行くなら頼りにするといい」そう彼は付け加えた。僕は丁寧にお礼を言った。


その紹介状は僕の机の引き出しの奥で今も出番を待ち続けている。


男の聞いている音楽が気になってヘッドフォンで聞かせてもらった。彼が聞いていたのは渋~いブルースではなく、明るいセネガルのポップミュージックだった。

2010年6月記



今日の一枚
” ポートレイト ” セネガル・ティワウォン 2003年




fumikatz osada photographie