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暗転期を支えた二眼カメラ


1995年6月、旅先のアムステルダムで泥棒に会い写真機材一式をごっそり盗まれた。失意のうちに当時住んでいたニューヨークに戻った僕は、当面使うカメラを探さなければならなかった。かき集めた500ドルを握りしめダウンタウンの中古カメラ屋へ向かう。35mmカメラしか知らなかった僕には中判カメラへの憧れがあった。しかし、その程度の予算で買える中判カメラなんて中古でもそうそうない。
ふとショーケースの中のテレビカメラみたいに大きな機種に目が留まる。「$467」という値札。買える。「ローライフレックスSLXという70年代の代物さ」店主は「バサッ、バサッ」とシャッターを切りながら教えてくれた。大げさな表現ではなく電化中判カメラの始祖鳥のようなそのカメラの中では、シャッターを切るたびに巨大なミラーが鳥の翼のように羽ばたき、その後、パワーワインダーのけたたましい音と共にフィルムが巻き上げられた。試写してきても良いというので小一時間写真を撮った。店に戻り店主に「これにするよ」と告げた。


喜び勇んで買って帰り、ちょうど1週間が経ったころだ。いつものようにシャッターを切ると「バッ・・・チーーーチッチー」ミラーが跳ね上がったまま二度と戻らなくなった。あとは電気がショートするような音がするだけ。500ドルのローライは僅か1週間でご臨終。あるいは、大きなボディに電気仕掛けが耐えられなかったか。なんとなく「恐竜絶滅の物語」みたいだ。
当時インターンをやっていた写真センターのベテラン教師に壊れたカメラを見せると「なんでまたこんなヘンテコなカメラを買ったんだい?初期の電化製品ってのは大抵壊れるんだよ。ケチらずに新品のニコンでも買っといたほうが良かったんじゃないかい?」彼の言うとおりだった。しかし、このとき僕はまだ楽観的に構えていた「返金してもらってニコンを買えばいいや」と。


ところが、先日の店に行き事情を話して返金を願い出ると店主は無情にも首を振った。「試写までして納得して買っていった中古カメラだ。自己責任だよ」って。そ、そんな・・・
何度も店に通い掛け合ったが彼は全く折れない。結局、同等品との交換なら、ということになった。
あいかわらず安いものを中心に物色してゆくと古いローライが並んだ一角を発見。この二眼(レンズが2つくっついた)カメラはおそらくカメラに詳しくない人でも一度は見たことがあるのではないだろうか。「ローライフレックス f3.5 E2」長ったらしい名前だ。値札は650ドル。差額を追加し購入した。なんだかドンドン高い物を買わされていく気がする・・・
再び写真センターの教師に見せると「あのね。古いカメラ(1962年製)見せれば年寄りが喜ぶとでも思ってるのかい?まあ、あのSLXよりはマシだ。今度は機械式だから壊れないだろうよ」と苦笑い。


しかし、厳密に言うとこのカメラも壊れていた(泣)ローライの二眼はレンズのついた前面パネルが前後してピントを調節するのだが、こいつが垂直ではなく対角線上に微妙に傾いていた。前オーナーがどこかにぶつけたのかもしれない。結果、シフトレンズで煽りを効かせたかのように対角線の隅っこでピントが合わなかった。
嬉しい誤算もあった。シリーズの中でも廉価版のこのカメラにはシュナイダー社のクセノタールf3.5という暗いレンズが付いていた。が、このレンズが思いのほか良い。シャープでコントラストが強く(特に白黒で)立体的な描写をした。


一方、このカメラの機構的アイデアはとんでもなく凄かった。カメラの天板をパカッと開けると折り畳み式のフードが組みたつ。必要ならルーペも引き出せる。上体をかがめて上から覗き込むと中のマットに像が映る。上のレンズから見ている絵だ。そう、レンズが2つある理由は別に3D写真を撮るためではない。上のレンズは狙いを定めるためだけのレンズ、下のレンズが実際に写真を撮るためのレンズなのだ。当然ながら2つのレンズは全く同じ動きをしなければいけない。その辺をこの古ぼけたドイツの精密機械はさらりとやってのけている。いやはや先のSLXと同じメーカーのカメラとは思えない。
外観はレンズのリムと歯車のようなダイヤル類が円形のデザイン群を構成し、箱全体は角を丸めた長方形で構成される。さらに、ローライの文字の部分やレバーの部分はプレートを重ねたようなデザインで統一されている。以上3つのデザインテーマだけで外観を描ききっている。
デザインは文化だと言われるが、少なくとも日本人の僕には真似でもしない限り思いつかない形だ。(真似は誰にもできるんだよねぇ)



振り返ってみるとこのカメラは悲運の一台だった。盗まれた機材の穴埋めとして「ドラフト2順目」で僕に指名され、共にアメリカ入国拒否を食らいオレゴンまで日帰りフライトをした。僕はこの文鎮のように重いカメラをキューバにもパリにも連れ出した。若さに任せて肩で風切っていた時代が終わり、なんとなく雲行きが怪しくなり自暴自棄になっていた。そんな時代を思い出す。
カメラに対するほんの罪滅ぼしと言ってはなんだが、帰国後、数少ない日本のローライフレックスの職人さんにフロントパネルの修理をしてもらい、消耗品を交換した。3ヶ月の時間とかなりの費用が掛かってしまった。


さて、2回に渡って僕の思い出のカメラについて書いた。40年間で自分が所有したカメラを数えてみたら12台だった。その殆どは手放しているが、この「写真美術館」の作品を一点一点見ていると、意外にも撮影に使ったカメラやレンズの名前がきちんと出てくるのは面白い。



2014年11月記



今日の一枚
” ローライフレックス f3.5 E2” 2014年




fumikatz osada photographie