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自分であることの証 その1


6月になると思い出す。オランダでのあの忌まわしい出来事を。そして、その事件のあと暫く「自分が自分である証とはいったい何なのだろうか?」そんな疑問に僕は苛まれた。


その年の夏の初め。そろそろ蒸し暑くなってきたニューヨークを離れ、僕はアムステルダムに向かった。
初夏のオランダはNYとは打って変わって肌寒く、短パンとTシャツだけでぶらりと出てきてしまったことを後悔した。そのかわり、高緯度地方の夏至の太陽はいつまでたっても沈まない。地下道のドラッグ中毒患者を横目で見ながら運河沿いに出ると、そこには飾り窓の店が建ち並ぶ。ショーウインドウの中では下着を蒼白くブラックライトに浮かび上がらせた女たちが、行き交う男たちを手招きで誘っている。コーヒーショップでは法律上黙認されているマリファナが売られている。人権と自由が保障されているのはわかるが、あまりに何でも自由だとかえって戸惑いを覚える。けれども、オランダ初日の僕の好奇心は、そんなちっぽけな戸惑いには軽く勝った。知り合った仲間たちといろいろな店を梯子して、ついつい深酒をしてしまった。思えば悲劇の伏線はその辺にあったような気がする。


そんなわけで、翌朝ベルギーのブリュッセルに向かおうとしていた僕は、ほとんどギリギリといった感じでアムステル駅前のユーロライン(国際バス)カウンターに駆け込んだ。「良かった、間に合った」チェックインを済ませてホッと一息。貴重品のすべてをショルダーバッグに移し変えた。「これが、車内持込手荷物。革の旅行鞄の方は床下の荷室に入れよう」広場に出るとまもなくバスが発着所に入ってきた。自分の背後に旅行鞄、その上にショルダーバッグを置く。
しばらくすると、イタリア人を名乗る若者が話しかけてきた。これから乗ろうとするバスについてあれこれ聞いてくる。「わかった、あとは友人に聞こう。ありがとう」突然彼は会話を切り上げた。結果的にこれが“彼ら”の「作業終了」の合図だった。後ろを振り返って僕は首をかしげた。旅行鞄はあるが、ショルダーバッグがない。「あれっ?」こういう場合、人間はまず自分の過失を疑うものだ。僕はチケットカウンターに置き忘れたのだと思い、急いで戻ってみた。
「無い。やられた!」そこで初めて自分が盗難に遭ったと知って天を仰いだ。もう一度バスの乗り場に戻り、地べたにしゃがみこんでいる若者たちに犯人の目撃情報を聞いて回った。しかし、彼らは首を振るばかり。今にして思えば若者たちは全てグルだったのかもしれない。本当は何も遮るものが無い広場の真ん中で起こった事の一部始終を見ていたのだ。「またバカな旅行者が引っかかった」と思いながら。


クラクションが鳴ってブリュッセル行きのバスが僕を乗せずに出発していった。バッグの中にはあらゆる貴重品が入っていた。パスポート、カメラから果てはアムステルダム-NY、NY-東京の航空券まで。バス会社の人たちは責任を感じてか、緊急連絡の国際電話をさせてくれ、さらに日本領事館のあるハーグに行く便の座席を無料で確保してくれた。急いでバスに乗り込み失意のうちにハーグへと向かう。道すがら、国道沿いには美しい初夏のオランダの田園風景が続いていたが、それを楽しむ余裕など僕には到底無かった。


2006年6月記



今日の一枚
”シャワーカーテン越しのポートレイト” アメリカ・ニューヨーク州・スタッテンアイランド 1995年


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