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香港人気質


「すごい雨ね」成田行きのユナイテッド機の座席に着くとすぐに隣の女性が話しかけてきた。こうやって、フレンドリーに会話が始まるのは、ごく自然なことかもしれない。でも、日本人同士というのは席が隣合ってもあまり積極的に会話をしないような気がする。だから僕は少しだけ驚いた。ベルトを締めながら水滴のついた窓から外を見て「ええ、ここのところあまり天気は良くなかったから」と彼女の方に顔を向けた。そして、その後はお互いついさっきまでいた香港の話に花が咲いた。


香港生まれの東京育ち。彼女はそういう経歴を持っていた。3歳から東京だというからほとんど日本人だが、彼女は香港の永住許可証を持っていた。今回は香港の親戚の家に数週間滞在して、福建省のおばあさんの家に行って来たそうだ。
僕はといえば、いつものように普通の人々の目線で街を歩いてポートレイトを今回はほんの少しだけ撮ってきた。当然ながら、僅か11日間の滞在では香港のごくごく表層を見たにすぎない。そんな僕の「香港旅日記」に比べて彼女の「香港観察」は実に適切で時に生々しく興味深かった。

中でも印象に残ったのは中国本土からの人口の流入と言葉の変化についての話だ。数年おきに里帰りをしている彼女によれば、返還後は訪れる度に北京語を耳にする機会が多くなっているそうだ。北京語のテレビ番組が急増し、街中でも頻繁に北京語での会話を耳にするようになったという。
僕は中国語も解さなければ、返還前の香港も知らない。したがって、返還後の街の変化に気づかない。しかし、彼女は大陸に飲み込まれようとしている香港の切迫感を薄れ行く広東語の影の中にひしひしと感じているようだった。本土からの人口の流入とともに広東語はやがて滅びてしまうのではないか?彼女の話を聞いているうちに僕もなんだか心配になってしまった。

さて、彼女の話してくれた興味深い話をもうひとつ。それは「香港人とお金」について。滞在中、彼女はうんざりしてしまったらしい。何に?身内の会話の中で頻繁に人様の収入ことが話題にのぼるらしいのだ。隣のご主人の給料のことから、親戚の稼ぎのことまで。これは香港人のいわば気質らしい。
富める者と貧しい者で社会的ステータスに違いがあるのは「資本主義」のシビアな現実だから仕方がない。けれども、お隣様の収入と自分の収入を比べて優越感に浸ったり、劣等感に苛まれたりしていったい何の得になろうか?というのが彼女の言い分だ。全く同感。
その一方で、こうも思う。それはおそらく、国際的な商港として栄えてきた香港の人たちのいわば「商人気質」なのかもしれない。この街では商売によって財を成した人は成功者としてずっと昔から羨望のまなざしで眺められていたのだろう。

そう考えてくると、ニョキニョキと上に伸びてゆく香港の住宅は「人よりももっと豊かに」という香港人の気質を表しているようでなんだか面白い。(もちろん土地が狭いという理由もあるだろうが)まるで蜂の巣のように一様な高層住宅の中でそういったお隣さんとの比較競争に追われるのはブラックユーモアのような矮小な世界だ(笑)けれども「お隣なんか関係ない。私はわが道を行くんだ」といういわば「開き直り」を香港人が持っていたら、おそらくこの街の繁栄はなかっただろう。


「今回は香港で仕事を探そうとしたけれど、私には合わないみたい」彼女はそう話した。30年東京で暮らしてきた彼女にとって、香港のそういった社会の中に入ることにはやはり抵抗がある。それだけは香港10泊11日の僕にも容易に理解できた。
ふたりの「マシンガントーク」にかかれば2時間半のフライトなんてあっという間。やがて、窓の外には雪の山が見えてきて「台湾の山かねぇ?」とのん気に話していたら富士山だった(笑)飛行機はまもなく着陸体勢に入った。


2006年6月記



今日の一枚
” 人口の流入 ” 中国・香港 2006年


南という切り札 その2




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