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南という切り札 その2


重慶大廈に初めて滞在したのは5年前。今もあまり変わっていない。一階には相変わらずアフリカから来た人たちがたむろしている。おそらく数日後には本土へ向かうのだろう。リベリア人の男は亜鉛を買わないかと商談を持ちかけ、ウガンダ人の女は体を買わないかと誘って来た。わずか2、3日程度の香港滞在なのだろうが貪欲に商売を始める。アフリカ人のタフさに敬服する。
一方、住民の顔ぶれはずいぶん変わっていた。やはり年月は経っているのだ。テナントの売り子たちも、入り口の新聞売りのおばちゃんもそしてなによりゲストハウスのオーナー達が世代交代をしている様子。親の世代が引退して、僕らの世代がオーナーになっている。
重慶大廈の建物は、なんとビル全体が工事用ネットで覆われていた。これでは売り物の「ネイザンロード・ビュー」も期待できない。「いよいよ取り壊されてしまうのか」と心配したが「チョンキンのイメージを崩さない」外観のみのリニューアルとのこと。


重慶大廈のある尖沙咀の界隈は大きく様変わりした。超高層ホテルが建ち、古き良き香港の面影を持ったチョンキン向かいの雑居ビルも取り壊されていた。これで大都会で暮らす人々の日常を部屋から眺めることもできなくなった。
それにしても香港の街の開発スピードは速い。新しい高層ビルがどんどん建ち、まだまだ至るとこで建設中だ。交通のインフラも電子マネーも香港は日本よりはるかに合理的。便利だから自然とお金を使ってしまう。真新しいビルには有名ブランドの店が軒を連ね、カフェで人々が語らう、休日には人が街にどっと繰り出し買い物をする。寒いくらい冷房の効いたビル、夜には照明が灯り100万ドルの夜景をつくる。我慢と緊縮の東京から大量消費の香港に来るとほっとする。


「徹底的に予算を切り詰め、政府は闇雲に補助金をばらまく」といった今の日本の経済はやはり病んでいる。そこにいくと香港の「金がなければコツコツ稼げばいい」という考え方の方が資本主義経済としては健全だ。香港経済を支えるものが商人の心粋だとすれば、政治、信条に関係なく買ってくれる人には商品を売るというその行為は非常に純粋なものだ。そこには何の差別も偏見も存在しない。そして稼いだ金はきちんと使う。だからお金がまわる。以前このコラムで僕が滑稽だと書いた「お隣さんとの稼ぎの比較」というのは「貰った補助金の額を比べる」ことより遥かに健全な行為なのかもしれない。 そのドライさが資本主義経済の良いところなのに、本来の経済活動と違うところでお金が動くとそれは陰湿なものになっていく。それが今の日本だ。


そうしてみると落ち込んだ自分を啓発してくれる香港こそ僕にとっての切り札なのかもしれない。


2012年3月記



今日の一枚
” 二階席 ” 中国・香港 2011年




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