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南という切り札 その1


何か嫌なことがあったり、日々のストレスに押しつぶされそうになったとき人は南の海辺にでも行きたいなと考える。いや、僕などは、あまりストレスを抱えなくてもすぐに南の砂浜に寝ころがりたくなる。
しかし、ある人はこう言っていた。「南には絶対に行かない。南が嫌いなわけではなくて、南に失望したら人はおしまいだからである。にっちもさっちも行かなくなったその日のために、南という切り札は大切にとっておかなくてはならない。簡単に南になんて行ってはいけないのである」はて?誰だったろうか?ランボーの詩みたいけど・・(笑)誰が言っていたにせよかなり的を得ていて、もし空港へ向かう電車の中でこのせりふを聞いたら旅を思いとどまってしまうかもしれない。しかし、沖縄のおじいは言っていたではないか「東京に疲れたらいつでも戻っておいで」と・・・
そんな葛藤の中で僕は自分なりの答えを見つけた。それは「ちょっと南」である。南の島はとりあえず取っておいて、もう少し気軽に切れるカード。自分をリフレッシュしてくれる場所が必要だ。僕にとってそれは香港かもしれない。というわけで、大地震と放射能の日本で疲れきった僕は香港に向かった。


空港から重慶大廈(チョンキンマンション)のゲストハウスに電話をかける。深夜にも関わらずネパール人のオーナーは快く予約を受けてくれた。バスが停留所にとまりドアが開くや否や、ドドッと客引きが二階建てのバスの中まで入ってきた。「おおっ」なんだか以前より激しさを増しているような・・・とその中から「オサダサン?」という声、どうやらこの人が本物のようだ。
案内された小さな部屋には窓がなかった、いや、あったけど密封されている。その窓からは工事用足場と鳩の巣が見えた。エアコンはフル稼働されていて部屋はギンギンに冷えていてその空気を天井のファンが効果的にかき混ぜている。「あああ、極楽、極楽」ベッドに身を放り出してぼんやり天井を眺める。「はて、この感じはどこかで味わったな」と考え「そうだ、ホーチミンのゲストハウスだ」僕は思い返した。
その夏の東京は原発事故の影響で冷房も入れない、電気もつけないという我慢大会のような状態だったので、こうして冷房を最大パワーにしてファンをまわしてベッドに横になる幸せを実感した。天井の大ファンは微妙に回転軸がズレていて、 ヘビのような奇妙なまわり方をしていてそれが催眠効果を促したようだ。僕はまもなく眠りに落ちた。


カタカタという音で目を覚ました。ずっと換気口の音だと思っていた。しかし、僕はその朝確信した。何かが枕元の壁の中を右に左に走り回っているのだ。「ガサガサガサ、ガサガサガサ・・・チュー」「うわぁ」僕は突然ブルーになる。薄いベニヤ板の中に広大なネズ公たちの「チューキンマンション」が広がっているかと思ったら、なんだか気持ち悪くなってしまった。「ネパール人のご主人、すみません諸事情によりチェックアウトします」宿を出て新聞に目を通すとこんな見出しが目に留まった「ネパール航空機のコックピットにネズミが侵入しあわや大惨事」なんだかネパールとネズミの不思議な結びつきを感じた日だった。


2012年3月記



今日の一枚
” 尖沙咀港 ” 中国・香港 2011年




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