ウクライナ人は笑わない その2
そこで僕はふと気づく「あ、やっぱりウクライナ人ってあまり笑ってないかも・・・」
平凡な毎日の中で人々はタバコを吸い酒を飲む。ウクライナの街を歩くとビール瓶片手に飲みながら歩く人が多いことに気がつく。まあ、人がどんな酒の飲み方をしようが勝手なのだが、酒を飲まない僕でさえも「もうちょっと美味い酒の飲み方があるのではないか」とお節介ながら思ってしまう。それに比べたら、仕事帰りに居酒屋で一杯、サッカーを観戦しながらバルで一杯、という方がずっと健全な感じがする。
「なんだかみんなつまらなそうだな」と一度思い始めてしまうと酒の飲み方にもケチを付けたくなる。困ったものだ。「ウクライナの皆さん申し訳ありません」しかし、街に溢れる酔っ払いたちによってこちらにも火の粉が降りかかってくるとしたなら、それは真っ平ゴメンだ。実際、ウクライナの地方都市でも産業がある町はまだよかったが、そうでない小さな町はかなり危険な匂いがした。
とりわけチェルノブイリの東、ベラルーシ国境に近いチェルニヒウという町はひどかった。美しい教会や木造の民家が残っていて実に雰囲気のある町なのだが・・・夜は酔っ払いばかりで僕はとうとう被害を被ってしまった。うつろな目をした若者に声をかけられ両腕をつかまれ「金を出せ」と脅かされた。「ああ、僕もそろそろこういうカツアゲみたいなのから卒業したい年齢なのに、またしても・・・」大声を出しても周りの通行人は見て見ぬふり。あの親切なウクライナ人たちはどこに行ってしまったのだろう?しかたがないのでポケットを探ると20フリブニャ(約200円)札が一枚。これはちょっとマズいかもしれない。しかし、男の目の前にちらつかせたら、むしり取って去っていった。「ああ、物価が安くてよかった・・・」そういう問題ではない(笑)ウクライナが今どんな状況かを肌で感じた瞬間だった。
僅か2週間弱の滞在だったが他にもいわばトラブルの発端となりそうな出来事に何度か遭遇した。しかし、不思議と「ウクライナなんて大嫌いだ」とはならない。それはおそらく、自分が想像していた通りの国だったからだ。「ウクライナなんてその程度のものなんだろうな」と思っていたがまさしく「その程度のもの」だったのだ。それに僕は素のウクライナ人の写真が撮りたくてわざわざ平凡な場所を選んで旅をしたのだ。いったい何の不満があろうか。
そして何を隠そう、我が身を省みつつ「流されゆく日々」を送るウクライナの人々を僕が同朋のような気持ちで見ていたこともまた紛れもない事実なのだ。
2009年12月記
今日の一枚
”トロリーバス” ウクライナ・チェルニヒウ 2009年
上海茶会事件 その3
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