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それは外から来た人達かもしれないよ


ドネツク行きの寝台列車の中、僕の向かいの席のウクライナ人がぽつりと言った。「そういえばドネツクにはカメルーン人がいっぱいいるよ」僕は思わず聞き返してしまった。「カメルーン人?」すると彼は続けた「外国人労働者だよ。今日、珍しくはないだろう」
確かに珍しくはない。しかし、僕が驚いたのは突拍子もなくアフリカの一国名がでてきたからだ。彼の話によればドネツクは炭坑と製鉄の街で、そうした産業にカメルーン人労働者たちが従事しているらしい。けれども結局、なぜカメルーン人との縁が深くなったのか彼の話からはうかがい知ることができなかった。
そういえば、同じような出身国指定求人のようなものを僕は中国の求人サイトで見かけたことがある。「英語教師・ナイジェリア人大歓迎」うーん?なぜ、ナイジェリア人なのだろうか?(笑)これは調べなくてはいけない。


日本にいると分からないが、実は今世界の多くの国々にとってアフリカは労働力の大きな供給源になっている。ヨーロッパの国だけではなく彼等の行き先はアジアにも広がっている。ほら、僕は香港の重慶大廈であれほど沢山のアフリカ人に出会ったではないか。中国の企業は明らかに海外からの労働力を求めており、仕事を探す人々にとってはそこに大きなチャンスがあるのだろう。
結局、「閉鎖的な労働市場と経済圏で自国の経済を守る」という時代はもう終わってるのではないだろうか?不況の中、国内の産業だけを保護し、外国からの労働者を追い払い、鎖国のようなことをやっていると、その国の経済はますます矮小化していくというわけだ。僕にはかつての自由主義経済の頂点に君臨していた大国が皮肉にも現在最も融通の利かない国になってるように思えてならない。
日本もおそらくこの事例にもれることはない。これから先もっと大きな経済圏に絡めとられれば、英語か中国語ができなければ仕事も見つからないという時代が来ないとはいえない。


さて、話をウクライナに戻すとしよう。話に聞いたとおりドネツクは非常に外国人の多いところだった。しかもそれはカメルーン人だけではない。ロシア人、トルコ人、またシリアやレバノンなど中東の国々からの留学生とも話した。ほかの街でもたくさんの外国人居住者に出会った。それは、イラク人、パレスチナ人、イスラエル人と様々だ。「文化と人種の十字路」といえば漠然とトルコあたりを思い浮かべていたが、地図を広げるとウクライナだって負けてはいない。人々が行き交いそうな場所にある。

彼等の溢れかえるバイタリティー。停滞してしまっているウクライナの社会や経済に刺激を与えてくれるのは、もしかしたらこういう外国人たちかもしれない。

2009年12月記



今日の一枚
”ポートレイト ” ウクライナ・ドネツク 2009年




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