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ウクライナ人は笑わない その1


「ウクライナ人は笑わない」そんな話を聞いたことがある。本当だろうか?そう聞くとますます興味が湧く。そんな不機嫌なヒトたちがこの地球上に存在するのだろうか?見てみたい。不機嫌な顔をぜひ写真に撮りたいものだ。
ところが、ウクライナ到着後飛び乗った空港バスの運転手は僕の顔を見ていとも簡単に微笑んだのだった。乗り換えに使ったモスクワの空港の係員たちの方がよっぽど無愛想だ。そんなわけでウクライナに関する俗説「ウクライナ人は笑わない」は、到着後わずか15分で誤りであることが判明した。

けれども、これだけは間違いない。ウクライナの人々は非常に寡黙だ。感情を表に出すタイプではない。大体どこの国でも人が議論、口論する場面を一度くらいは見るものだが、この国ではそれが全くなかった。逆にちょっと気味が悪いほどだ。
それでは、僕のような外の人間に対して人々が冷たいのかといえばそれもまた違った。みな驚くほど素朴で親切。僕はウクライナの地方都市ばかりを訪ねたが、殆どの街では日本人はおろか東洋人でさえ見かけない。そんな中で人々の視線は必然的に僕にそそがれるワケだが、それは決して差別的な視線ではなく純粋な好奇心からくるものであった。
しかし一方で、彼らの日常的な表情は、まるで雪をはらんだ冬空のようにどんよりと曇っていた。ロシアと欧州の間で揺れ動く政治的ジレンマや経済の停滞が街の空気に感じとれる。人々も自分たちの向かうべき道が見えず途方にくれているようだ。それは「漫然と日々を過ごしている感じ」とでも言おうか。

比べて良いものかいささか疑問だが、僕が最近何度か訪ねた中国は、そこに生活する人々から前進するエネルギーのようなものを感じた。ところがどうだろう、ウクライナは独立後わずかに19年の若い国なのにまるで停滞した老人の国のよう。なんだか活気がないのだ。
遅れてきた春を謳歌する老人たちは自由主義のもとで余生を過ごすのもよいだろう。しかし、若者は違うはずだ。ソヴィエト以後の世代が増え続けるウクライナでも、そろそろ何かお金では買えない豊かさのようなものを探す動きが出てきても良いのではないか?ここが僕が今まで訪ねたことのある西ヨーロッパの国々とウクライナの決定的に違うところである。


結局、今のウクライナには富を手に入れようとする貪欲さもなく、かといって自由な創造力を働かせた表現や芸術が芽生えているわけでもない。なんだかすごく中途半端なのだ。それが「日々漫然と流されている感じ」を生み出しているのかもしれない。
毎日、トロリーバスに揺られてルーティンな生活はしているけれど何かが足りない。前にも進めない、後へも引けない。だから、人々は皆つまらなそうな顔をしている。
これもすべて世界同時不況のせいである。なるほど、すべてを不況のせいにしてしまえば話がはやい。

2009年11月記



今日の一枚
”ありふれた一日” ウクライナ・チェルニヒウ 2009年




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