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地下鉄までの長い道のり


昔むかし僕がまだ高校生の頃、こんな話を耳にした。「日本で一番長いエスカレーターは、東京の地下鉄千代田線新御茶ノ水駅のものである」ふーん。それなら、とばかりに学校帰りに確かめに行った。正直、少々バカにしてかかっていたのだが、思いのほかそのエスカレーターは長くて感動した記憶がある。今でもあのエスカレーターは日本で一番長いエスカレーターなのだろうか?ところで、日本で一番深いところにある地下鉄の駅ってどこだろう?東京の地下鉄は新しければ新しいほど深くなって行きそうだから、大江戸線のどこかの駅だろうか?


そんなことを僕はキエフの地下鉄のエスカレーターに乗りながら思い出していた。窓口で買う地下鉄のトークン(代替コイン)はプラスチックで出来ていて、おもちゃのルーレットのチップみたいだ。しかも値段はおよそ20円と格安だった。ウクライナは公共の乗り物の運賃が驚くほど安い。プラスチックのトークンをターンスティールの投入口に入れ、最初のエスカレーターで少しだけ下る。「気軽に利用できる交通手段だな」と思ったのも束の間、踊り場を抜けるとその先に待ち構えていたのは奈落の底まで続くようなエスカレーター。「うわっ、長っ!深っ!」一番下の降り口が見えない。新御茶ノ水駅どころではないぞ。この作りは旧ソ連時代の国防に関係するのだろうか?それとも、起伏に富んだキエフの地形によるものだろうか?

地下鉄の駅はいつも混んでいた。ウクライナの人たちは少なくとも3分はかかるであろうこのエスカレーターの上で誰一人として先を急がない。じっと立ている。だから僕も急がない。腰の横のベルトの上に手を置いた。長いエスカレーターの旅の始まりである。反対側のエスカレーターの人間ウォッチングが結構楽しい。ふと、気づく。なんだか凄く体勢が苦しい。僕の上半身は前に倒れてベルトにつかまる手ははるか前方へ。「あれ?手が滑ってるのかな」と思い再び腰の脇に置き直す。しばらくするとまた気づく。手が前方に行っている。「あれ?」そう、手すりのベルトの方が足場よりもずっと早く進むのだ。よく見ると登りのエスカレーターの上で友達と話す人たちは皆不自然に前のめりになっているではないか。

やっと下までたどり着いた。降り口にはセキュリティのおばさんが座っていて、読み札を待つカルタ選手のようにじっとエスカレーターと非常停止ボタンを見つめていた。「確実に必要な人員だ」と僕は思った。ここでひとりコケたら大変な事故になる。改めてエスカレーターを見上げるとなんだかクラクラする。例えば、松葉杖をついている時に登りのエスカレーターが止まっていたら僕はおそらく卒倒するであろう。

結局、キエフの地下鉄は僕にとってあまり便利な乗り物ではなかった。深さの浅い駅では今度は横の通路がやけに長かったり、なかなか簡単には電車に乗せてもらえないのだ。さらに駅間の距離が長く(いや、もしかしたらキエフの町が小さいのか)本当に行きたい場所にたどり着くには地上に出てから歩かなければならなかった。次第に僕はバスや路面電車を使うことが多くなった。


けれども、この長ーいエスカレーターにじーっと乗っている人々の姿はなんとなくウクライナ人の気質を見ているような気がした。そういう意味ではキエフの地下鉄は僕にとって非常に興味深い乗り物だっだ。

2009年11月記



今日の一枚
”過ぎ行く日々 ” ウクライナ・キエフ 2009年




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