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ソヴィエトの車


夜中にウクライナ・キエフの空港に着いた。予想はしていたが宿を決めないで来てしまったために、僕は午前1時過ぎの街をとぼとぼと彷徨うことになった。何となく心細いがもう慣れた。毎回こんな感じだから(笑)
車のほとんど走っていない交差点で信号待ちをしている僕の前をランボルギーニ・ガヤルドとアウディR8の2台のスーパーカーが競争をしながらかっ飛んでいった。この夜中に道をフルスピードで行き交う車はなぜかポルシェやベントレーといった高価な車が多かった。「あれ?もしかしてこの国は予想に反してお金持ちの国なのか?」そんなことを思いつつ僕は見つけたホテルに飛び込んだ。

一夜明け、僕はいつもどおり昼間の街を散策し始めた。やや安心。スーパーカーはやはり一部の裕福な人たちの乗り物のようだ。さらに僕は気がついた、この国は異常なまでに日本車が多いということに。これには西ヨーロッパからの旅行者もビックリしていた。「ロシアは日本の中古車で溢れ返っている」という話を前に聞いたことがあるが、ウクライナでは中古車なんて見かけない。むしろ日本車のニューモデルが沢山走っている。世界的な不景気で日本車の販売も落ち込んでいるというが、売れるところでは売れているものだ。日本の自動車メーカーはこういったお得意さんを大切にしなければいけない。


僕は行く先々で街を走る車を見るのをいわば楽しみの一つにしているのだが、本当のところ僕がウクライナに期待していた自動車は日本車や欧州車ではなく旧ソ連の車たちだ。そこで実際に路上を観察してみると・・・ああ、いたいた。日本車と同じぐらいの比率で見かけるソヴィエトの車たち。
その代表選手といえばアフトヴァーズ社の「ラーダ」という車であろう。クラシカルな3ボックスのセダンはタクシーなどにも多く使われており、今でも身近な大衆車といえばまずラーダなのだ。ウクライナの風景にしっくりと馴染むのはやはりこの車だと思う。僕はキューバで何度か乗せてもらったことがある。

さて、スタイルに魅かれて僕が何度も車名を聞き、そのたびに返ってきた答えは「モスクビッチ」という名前だった。こちらは2002年にメーカーが消滅しており既にすべてのモデルが絶版となっている。オーナーと話した感じだとこちらの方がラーダよりコアなファンを持っているらしい。彼らのこだわりを強く感じる車だった。出発点こそラーダと同じ3ボックスの大衆車ではあるが、絶版になったおかげでモスクビッチはコレクターズアイテムになっているようだ。この辺は旧東ドイツの車トラバントと同じかもしれない。そういえば、ドイツでも状態の良いトラバントが駐車場においてあると車好きが覗いていた。


しかし、一般的にはソヴィエト時代の名車たちはウクライナの町の風景から少しずつ姿を消しているようでなんとも寂しい限りだ。これも時の流れならば仕方がないのか。

道端に放置されていたのは「ポベダ」という1950年代の車。激動の歴史を見てきた古い車の上に枯葉が積もる。主をなくしてから何度目の秋だろうか?

2009年11月記



今日の一枚
”GAZ-M20 ポベダ” ウクライナ・ドネツク 2009年




fumikatz osada photographie