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マニュエル顔


「ジミー」という名前を聞くと痩せ型の男性を思い浮かべる。多分、中学校の英語の教科書の影響だ。痩せたソバカス顔の登場人物の名前がジミーだった。一方、「デーブ」という名前からは丸々と太った人を連想する。その理由はおそらく・・・(笑)
実際に「ジミー」と「デーブ」が同じ写真のワークショップに居たことがあった。ところが、意外なことに「ジミー」のほうが太って体が大きく、「デーブ」は華奢で背も低かったのだ。ご想像のように僕はいつもふたりの名前を間違え、そのたびに「俺ジミーじゃないよ」「デーブちゃう」と指摘された。「実は中学の教科書のせいなんですよ」と説明するわけにもいかず、ただ恐縮するばかり。ところがその後しばしばネイティブの生徒がジミーとデーブを呼び間違えるのを見て「ん?もしかしたらジミー顔とデーブ顔ってのは本当にあるのかも知れないな」と思った。
この○○顔の話をスペイン人の友人に話したら「それ、あるね」と意外なところから賛同を得た。そこで僕は問うた「僕の顔をよく見て。この顔から連想するスペイン名は何?」すると友人はひとこと「マニュエル」と答えた。俺ってマニュエル顔なんだ。


こうしてみると練りに練られたキラキラネームも第三者から見ればそれほど重大ではないのかもしれない。人名でさえこんな調子なのだから、物の名前、特に外来のカタカナ用語の認識なんていうのはもっといい加減である。
何十年も前にアメリカで「セレブリティの写真」といわれても僕にはチンプンカンプンだった。「セレブリティ」っていったい何ですか?すると、親切な友人が隣から「有名人のことだよ。ハリウッドスターとか・・・」「オー、サンクスねー」
その「セレブ」という言葉も今ではすっかり日本に定着した。しかもちょっと違った意味で。日本では「セレブ」とは「お金持ち」の意味らしい。
同じように本来の意味とは違って日本の市民権を得た言葉で「パスタ」というのがある。日本ではパスタというのはスパゲッティのことらしいが、「パスタ」と「スパゲッティ」は厳密には同義語ではない。「パスタ」はイタリア麺の総称で日本語にすると「麺類」程度の意味しかない。
アメリカ人はスパゲッティなどのロングパスタ以上にマカロニを食べるから、パスタというあやふやな言葉はあまり使わない。本場イタリアだと「パスタ」の使用頻度はさらに下がる。レストランで「イカ墨のパスタ」と注文したら「ショート(マカロニ)かロング(スパゲッティ)か?」と聞かれるだろうし。「ショート」と答えればさらに「ペンネ(ペン型)かコンキリエ(貝型)か・・・」と尋ねられるだろう。考えてみればそば屋に入って「麺類をくれ」という客はいない。
こういう間違ったカタカナ語の用法にいちいち腹を立てていた時期があったけれど、今は「これは日本語なのだ」と思うようにしている。外来語は日本に入ったとたんに日本語になるのである。


そうかと思えば、今まで自分が習ってきたカタカナ言葉が英語の発音により近いものにいつの間にか変えられていたりする。例えば食物栄養素のカロチンはカロテンに、ファーストフードはファストフードに変わっていて、知らないでちょっと恥をかく。
そういえば、ハロウィンのときに「ハロウィーン」表記の方が英語の発音に近いのではないかという議論を目にした。確かに英語では「ウィ」のところに強勢があるけれど、少なくとも「ハロウィーン」ではないような気がする。結局のところ、英語音をカタカナに置き換えている時点で限界が生じるのだ。だから、カタカナ語は日本人が発音し易い表記でいいのではないだろうか。
さらにエスカレートして、先日テレビで「ディレクター」のことを英語風に「ダイレクター」と言っていた。うーん、ダイレクターですか・・・(笑)「i」を「アイ」と読む英語の発音は他の欧州言語と比べてもかなり特殊だと思う。英語読みは必ずしも世界の多数派ではないのにね。
しかし、この調子で行くとマクドナルドがマクダナルになる日も近いのかも。なんとなくイヤだな(笑)


突然、思い出しました。僕にとっての「マニュエル顔」はかつてのプロ野球の助っ人外人だ。ヤクルト、近鉄で活躍した強打者。不運にもデッドボールで顎の骨を折ったりしてたなあ。その後アメリカに帰国しフィリーズの監督になったんだっけ。がっしりとした体格の精悍な顔立ちだった。「マニュエル顔」う~ん悪くないんじゃないの(笑)
気になって調べてみた。登録名・チャーリー・マニエル。英語表記だとマニュエルだが当時のカタカナではマニエルだった。マニュエルもまたそぉっと書き換えられてたんだなぁ。



2015年12月記



今日の一枚
” セルフポートレイト ” バングラデシュ・ナトール 2015年




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