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安さは善なり その2


そうだ、日本のコンビニはニューヨークでいうところのデリなのだ。デリは街の至る所にあって日用品や食品などを置いていた。しかし、デリに置いてある乾物や洗剤などを買った記憶はない。おそらくスーパーやドラッグストアに行った方が安いからだ。それでは、僕はいったい何を買いにデリに行っていたのかといえば、紙コップに入ったコーヒーとベーグルパンやマフィンといったパン類、そして手作りのサラダとか、スープとかの惣菜類だった。基本的に24時間営業。明け方、腹が空くとアパートの近所のデリに行く。完全に自宅の冷蔵庫感覚。
パキスタン出身のアーマッドが夜の店番だった。世間話をしながらコーヒーを紙コップに注いでくれ、そこに紙パックの牛乳が加わる。それと・・・バターベーグル、ドーナツ状のベーグルパンを包丁で上下に切り分け、間にバターを塗り、最期にそれを二等分してパラフィン紙に包んでくれる。クリームチーズという選択肢もあった。朝食時には良い匂いをさせて、ジャガイモとたまねぎ、ベーコンの炒め物が朝番の店員によって調理されていた。スープは日替わりだったなあ。惣菜バーには作りたての品が並んで準備万端。デリの店員の仕事量はけっこう多かった。デリの店員はプロフェッショナルの匂いがした。いや、プロでないときっと勤まらないのだ。
日本のコンビニさん、コーヒーのお供にバターベーグルとバナナマフィンとブルーベリーマフィンも100円でお願いします(笑)


さて、今回はファストフードの巻ということで話はどんどん横に逸れますぞ(笑)本場のお株をすっかり奪ってしまった食品というのがある。例えばアメリカはビールの消費量ではドイツを完全に抜き去っているであろうし、アメリカ人はイタリア人よりも確実にピザを食べている。そこで次のお題は「ピザ」だ。ニューヨークは移民の多い街だから本格的なイタリア料理店も多い。けれども、ニューヨーカーが普段食べているのは本格的なイタリア料理店のピザではなくて、街の角々にあるピザスタンドのスライスピザである。いや、少なくとも僕が暮らしていた四半世紀前はそうだった。スライスとはホールだと直径40cm位のピザを6等分ほどに切り分けたもので、プレーンでもソーセージでも好みのものを選べる。熱々のスライスピザにカウンターの上のビンからレッドペッパーとガーリックパウダーをふりかける。そしてオリーブオイルの滴るピザを薄い紙皿ごと二つ折りにしてかぶりつく。ああ、不健康、コレステロール充填120%・・・だけど幸せ。
値段はプレーンが1.25ドルくらいからだったかな。僕のアパートはウォールストリートの界隈だったので、昼時には階下のピザ屋はビジネスマンや買い物客でごったがえしていた。

このスライスピザが実はニューヨーク独特のものだということを僕は他州に行って初めて知った。アメリカのとある田舎街で小腹が空いた僕は宅配ピザ屋に入った。カウンターの女性に「プレーンのスライスを1枚ください」と注文したら、笑いながら「うちはばら売りはしないんですよ」といわれた。いやいや本当に無知だったと思う。まだ日本では宅配ピザも普及していなかった時代の話。最近、日本の宅配ピザは持ち帰り割引サービスをやっている。スライス売りも結構需要があるかもしれないよ(笑)


もう長いことニューヨークに行っていない。現在、デリやピザスタンドがどのような状況なのか知らない。しかし、ちょっと気になる話を聞いた。マンハッタンの不動産の価格が跳ね上がり、住民が比較的裕福な層に代わった。それにつれて外食産業も高級志向になり、結果として庶民の味のピザスタンドの数が激減しているという。本当だろうか?もしかしたらデリのような店も減る傾向にあるのかもしれない。日本でもアメリカでも「安かろう悪かろう」「安物=悪」みたいな風潮が蔓延しているのかな。


結局、世間の風潮に便乗しただけの値上げや、物価を上げることを目的とした政府の「輸入小麦売り渡し価格の吊り上げ」、円安誘導に起因する材料費高騰なんていうのは僕たちの生活水準を下げているだけなんだろうね。「デフレ脱却。安さは悪」だって?バカを言っちゃいけない。「安さ」はそれだけで善なのだ。もちろん「中身」も伴えば100点満点。そうすると、実質賃金は増え、消費は活発化する。やがて好景気の副作用として緩やかなインフレが起こる。痩せてゆくパンではなくて目指すべきはそこなんじゃないのかい?



2015年6月記



今日の一枚
” 部屋の窓からの眺め2 ” アメリカ・ニューヨーク 1991年




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