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僕と長野 その1


「カサカサカサ、キュッキュッキュッ」
夜、床に着くと襖の向こうの部屋からそんな音が聞こえて来る。真っ暗闇の天井を見上げ、その音に耳を澄ますと、気持ちが高ぶって僕はいよいよ寝付けなくなった。


父の田舎が長野にあり、子供の頃はほぼ毎年遊びにつれて行ってもらった。訪れる季節はまちまちで、ある年は春、またある年は秋だった。四季折々に風情があり、いつ行っても標高800メートルの古民家は少年の僕にとって新発見の連続だった。歓待を受けて叔母の美味しい手料理をたらふく食べられるのも楽しみだった。
お盆に訪れたことも何度かあって、その時期が丁度、養蚕(ようさん)の季節だった。居間の隣には薄暗い小部屋があり、蚕棚が並んでいた。棚の上には籠が置かれ、その中に蚕(かいこ)とえさの桑の葉っぱが入っている。蚕たちは昼夜の別なくキュッキュッと桑の葉を食べる。無数の蚕たちが暗闇の中で桑の葉を貪っている。その一匹一匹の姿を想像してしまうと幼い僕の目は冴えるばかりだった。


後で知ったのだが、養蚕というのはおそろしく手間のかかる仕事らしい。蚕を飼うところがスタートラインではなく、まずはえさとなる桑の木を育てなければならない。その後、葉を刈り飼料に適した大きさに切る、そこでやっと主役の登場。桑の葉を与え、葉っぱが乾燥しないように常に気をつかいながら食べ残しや糞の世話をし、ひたすらお蚕様が繭を作るのを待つ。いったい、あの小さな繭玉からどのくらいの生糸ができたのだろうか?それでなくとも農家ってそれ以外の農作物の世話もあるし。結局、重労働の割りに合わないので、養蚕をする農家はその後どんどん減っていったそうだ。
叔父も叔母も忙しかったんだな、きっと。こっちは悪びれもなく田舎の夏休みを満喫した上に、帰るときには自由研究用にと蚕と桑の葉まで紙箱に入れて貰った。僕の蚕は紙箱の中で桑の葉を食べ続け、やがて繭を作った。養蚕ならば生糸を作る為に繭を熱湯でほぐされお蚕様の一生はそこで終わるのだが、僕の蚕は立派な蛾として繭から出てきた。ここまで「蚕って何だよ?」と読んで来たみなさん、蚕の正体が判明しました。蚕とは蛾の幼虫です(笑)



僕は今でも折に触れて長野を訪れている。若い人たちは山を降り、集落は殆ど人が住まなくなった。父の実家もまた同じ。そして、当の父も先月他界した。意外なことに、父の口からは「あの山に帰りたい」という言葉は一度も出なかった。ふるさとというのは退屈なものなのかもしれない。
しかし、僕にとっては退屈どころではない。夜になると裏山のどこかでけものの声が聞こえ、ふくろうが鳴いている。そしてあの「カサカサ、キュッキュッ」という蚕が桑の葉を啄む音が聞こえる。なんというか「この世に住んでるのは僕たち人間だけじゃないんだな」というのを子供心に強く感じた夏だった。



2014年9月記



今日の一枚
” 長野の風景 ” 日本・長野県 2014年


白夜の森の住人になる




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