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21世紀の壁 その2


ベツレヘムのホテルの窓から外を見ると、なにやら遠くの丘の上に白亜のマンション群のようなものが見える。午後の陽の光に輝いているその塊は白い要塞のようだ。
同じくホテルのロビーの壁には一枚の絵が掛けられていた。それは雪をかぶった松林の丘の風景画で、どことなく窓から見えたあの丘に似ている。しかし、白い建物はないし雪景色となるとどこか他の場所の風景なのだろう、と僕は思っていた。
ところがパレスチナ人の宿の主人に聞いてみると絵はあの白い要塞の丘だという。「こんな温暖な気候でも雪が降るんですか?」「もちろん冬は寒いし、雪だって降りますよ。ほんの何年か前まではあの丘はこんな素朴な松林の丘だったのです」「それじゃあ、あの白い建物は何ですか?」と僕は訊ねた。「イスラエルの作った入植地です」ここで僕はようやく話の輪郭が掴めて来た。入植地の名前は「ハル・ホマ」だそうだ。


そうなるとなんだか急にあの丘の白亜の要塞に行ってみたくなり、翌日、僕はチェックポイントを抜けて再び東エルサレムに戻った。壁の向こう側では例によってタクシーが客待ちをしていた。エルサレムまでの客を期待していたパレスチナ人運転手に「ハル・ホマ」と告げると、ため息をついて「おまえさん、ハル・ホマがどういう場所か知ってるのかい?」と訊ねてきた。「知ってるつもりだ」と答えると顎の先で「乗れ」と合図した。
綺麗に整備された道路を走り、入り口のロータリーまで来た運転手は「ここでいいかい?」と僕を降ろすとすぐに来た道を戻っていってしまった。平日の昼間だからかあまり人気がない。中はマンションから学校、幼稚園、スーパー、病院と生活に必要なものはほぼ揃っている様子だ。一般的には典型的な新興住宅地だが、壁の向こうと比べるとここは別世界のように思える。
入植地の建設はまだ続いていて、作りかけの公園ではパレスチナ人労働者たちが工事をしている。まるで積み木のように整然とした町の中を、おもちゃみたいにカラフルなブルドーザーが走りまわっている。そして丘の上に登るとマンション郡の屋根越しにホテルがあるベツレヘムの界隈が見渡せた。


ここ東エルサレムは本来パレスチナ自治区に属する。しかし、イスラエルは1997年に入植地建設を議決、ハル・ホマの建設をはじめた。当初は反対派のパレスチナ人とイスラエル軍の衝突まで起こっている。あの、ロビーの絵画とタクシー運転手の言葉はこの物語を示していたわけだ。現在のハル・ホマの人口は2万人。
パレスチナ自治区内には実はいくつものユダヤ人入植地がある。違法の入植地だから当然テロの危険と常に隣り合わせだ。入植地の入り口にはチェックポイントがあり、道でバスを待つイスラエル住民の横にはいつも武装した兵士の姿があった。もちろん、入植地というのは常に更地に作られるわけではなく、多くはかつてパレスチナ人が暮らしていた町や区画自体がイスラエル住民にとってかわられるパターンだ。その結果、住処を失った人たちはパレスチナ難民となった。


けれども僕は考えた。確かにこの入植地は違法だ。国際世論の反発を招き、テロが多発した。けれども、もし自分がユダヤ人で、祖先が長い間迫害されて来たとしよう。そこで、あるとき良好な気候と真新しい家の新世界が目の前に提示されたらどうだろうか?「ここはあなたの土地ですよ、さあ、新天地にいらっしゃい」と。正直、僕はその提示を断る自信がない。そして僕は壁のこちら側の人になるのだろう。できるだけ壁の向こうの難民キャンプのことは考えないようにするだろう。けれども、時には自爆テロの恐怖に怯えたりするに違いない。そんなとき僕は新世界の現実を目の当たりにするのだ。

2011年10月記



今日の一枚
” ユダヤ人入植地からベツレヘムを望む ” エルサレム郊外・ハル・ホマ 2010年


イスラエル ヘブロン その1




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