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イスラエル


イスラエル人というのは建国以後ユダヤ国家の旗印のもと世界各地から入植してきた人々、国家に忠誠で、敬虔なユダヤ教徒なのだとずっと思ってきた。

しかし、実際にイスラエルの人たちと話してみると、どうも様子が違う。
世界のさまざまな国から移住してきたイスラエル人たちは、新しい土地でごくごく普通のニューファミリー的な生活をしている。若者たちはあくまでも普通の若者で(笑) とくに信心深いわけでもなく、政治にもあまり興味がない様子。徴兵制についても、それを負担に感じているという人が意外にも多かった。

一方、エルサレムのマハネ・ヤフダという地区はイスラエル建国以前からの歴史を持つユダヤ人居住区だ。 その界隈を住民の方に案内してもらうと、住んでいる人たちが新しい入植地のニューファミリーやショッピングモールの若者たちと全く違うことに驚く。みなユダヤ教の伝統様式に従って実に質素で慎み深い生活を行っている。シナゴーグ(礼拝所)の中に入ると、壁のフックに整然と掛けられている外套と帽子、熱心に経典を読む若者の姿が非常に印象的だった。

それでは、いわば「今風」なイスラエル人ときわめて保守的なイスラエル人がお互いを理解し合っているのか?というと、やはりそうではないようだ。 これはどこの世界でも同じではないだろうか。一枚の岩だと思っていたイスラエルの人々は実はそうではなく、まるでモザイクのように異なった思想と背景をもった人々の集合体なのだということがよくわかった。

けれども、僕の頭の中で最後まで結びつかなかったことがある。それはこうした一般市民たちとガザに空爆を加えるイスラエルの姿だ。 それでは、あの攻撃は誰の意志なんだろうか?と考えると、あれはむしろ国の外にいる「イスラエル国家を強力に支持する人たち」「爆撃によって何らかの利益を得る人々」の意志なのかもしれない。 それはごく普通のイスラエル国民の生活には何の利益にもなっていないのではないだろうか。

「イスラエル人」「ユダヤ教徒」「イスラエルという国」という三者は切り離して考えないといけない。これが僕の出した結論だ。
イスラエル人、ユダヤ教徒=パレスチナに攻撃を加える悪い人、ではない。同じように、パレスチナ人、イスラム教徒=テロを行う危険人物、でもない。 その辺を混同している人は割と多いのではないだろうか。そして、そこを誤解すると世の中は大変不愉快なものになるだろう。

2011年11月記



今日の一枚
” 礼拝所の壁に掛けられた外套と帽子 ” エルサレム 2010年




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