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21世紀の壁 その3


あの壁を「アパルトヘイトウォール」と呼び、建設自体を許せざる行為だという人もいる。けれども壁の位置はともかくとして、イスラエル政府の「あれは保安壁だ」という主張はあながち間違いではいない。「自爆テロを未然に防ぐ→壁を作る」という部分に大きな論理のギャップはないだろう。
問題は壁が作られたことではなくて、そこに壁を建てなくてはならなくなった経緯なのだ。イスラエルとパレスチナの和平への分岐点は過去にたくさんあった。しかし、いくつかの誤った選択によって問題がこじれて未だに和平には程遠い。


「平和」を訴えるのは子供でもできるが現実はそんなに単純ではない。異なった人種、宗教、背景持った人たちがいれば当然摩擦も起きる、その中でどうにか折り合いをつけてゆくのが大人の社会というものだろう。
この地域の歴史はユダヤ人とパレスチナ人の報復の歴史で、それは僕らが計り知れないくらい根の深い問題なのかもしれない。けれども、この地域の紛争をこれほど大げさにしてしまったのは国家や政治のリーダーではないだろうか。それはイスラエルでありアメリカでありイギリスである。また、かつてのPLOであり、暫定自治政府であり、ハマスであろう。そして、それらは結果的に9.11に代表されるテロや世界の紛争の火種にもなった。
最近、パレスチナが国連に国家申請をし否決された。パレスチナもまた国という形態をもってイスラエルと対等の立場にたつしか紛争の解決への道はないと判断したのだろう。申請が国連で否決されても事実はマスコミによって全世界に報道される。これに対してイスラエルが報復措置をとる・・・とまあ、ここはずっとこんなことを繰り返してきたわけだ。


壁の両側を何度か往復して僕が感じたのは「壁の向こう側とこちら側、政府の考えていることは真っ向からぶつかり合っているけど、一般市民の願いというのは実は同じ方向を向いているのではないか」ということだ。つまり、それは平穏な毎日を送れる社会を作ることである。
武装兵に守られて入植地に出入りし、テロの脅威に怯えるイスラエル人、常にイスラエル兵に監視されるパレスチナの住民、難民キャンプの人たち、チェックポイントで何時間も足止めを食うパレスチナ人・・・これを解決できるのは国家しかないと人々は本気で思っているのだろうか?


インターネット、そしてSNSの時代、壁の向こう側でもこちら側でも人々は自由に言葉を交わしている。相手の言語さえ理解できれば壁の両側の人々が話し合うこともできるし、良質のマスコミを選べば壁の向こうの人たちが何を主張しているのかもわかる。それはこのイスラエルの壁が20世紀のベルリンの壁と大きく違うところだ。
窓から外を見れば話し合うべき相手はすぐそこにいるのに・・・結局、「両者の関係は国家頼み」というのもなんだか悲しい。

2011年11月記



今日の一枚
” 窓の向こうにハル・ホマが見える ” ヨルダン川西岸パレスチナ自治区 ベツレヘム 2010年




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