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21世紀の壁 その1


僕が乗ったエルサレムからベツレヘムへの路線バスは途中で終点になってしまった。他のパレスチナ人の乗客にくっついてプレハブの建物へと向かう。どうやらこれがイスラエルが国際世論の反発を受けつつ入植を進める東エルサレムからパレスチナ自治区へ入るためのチェックポイントらしい。
建物の中は例によってパレスチナ人と旅行者の長蛇の列ができていた。ヨルダンからイスラエルへの入国審査でも抜けるのに1時間以上かかってしまったから、ここでもある程度の時間を覚悟しなければなるまい。天井の梁からは機関銃を持ったイスラエル兵が右に左に歩きながらこちらを見下ろしている。
ようやく通過。それでも、東エルサレムに入る反対側の列よりはずっとマシなようだ。あちらは遅々として進まない。そして列の先頭にはブースの中のイスラエル兵に詰め寄るパレスチナ人がいる。おそらく、帰りは自分もあの動かない列に加わらねばならないのだろう。


チェックポイントを抜け後ろを振り返るとイスラエルの作った例の隔離壁があった。完成すれば700kmにも及ぶ壁に、正直こうも簡単にお目にかかれるとは思っていなかった。
僕はタクシーに乗った。車は壁の周りをめぐるように走る。ベイトジャラという地区を抜けてベツレヘムまではおよそ2km。ベツレヘムからわずかに歩くとパレスチナの人々は世界の果てにぶつかる。壁はかつて普通の街角だった場所にいきなり建てられている。道の幅さえ許されない場所ではもうパレスチナ人の生活道路の真ん中に強引に壁を作ったという感じだ。風景が壁によってスパッと切断されている。
一方まだ壁のない場所では例えばパレスチナ自治区内のユダヤ人入植地をつなぐために作った真新しい高速道路が境界線になっていたりする。したがって、例えば元から住んでいたパレスチナ人の住居が境界線の向こう側ならば、その人はイスラエル兵の監視つきで日々家路に着くということになる。


この壁は自爆テロ防止など保安を理由にイスラエルが2002年に建設を始め、パレスチナ自治区を事実上隔離したものだ。問題となっているのは建設自体もさることながら、この隔離壁が1967年に定められたグリーンライン(境)を大きくはみ出し本来パレスチナ側だった東エルサレムをイスラエル側に取り込んでしまっている点だ。
世界中の世論を巻き込んで「アパルトヘイトウォール」とも呼ばれるようになったこの壁には平和を願う人々のメッセージや芸術家たちの作品がいたるところに描かれている。しかし、その一方でパレスチナ住民たちはというと、壁に物を立てかけたり、近所のレストランのメニュー表を書いたりといった具合で仕方なく現実を受け入れなければならないという、むしろ諦めにも似たものを僕は感じた。そして、このパレスチナ人たちの行為のほうが平和を願う芸術家のメッセージよりもずっとこの問題の本質に近いような気がする。

2011年10月記



今日の一枚
” 行き止まり ” ヨルダン川西岸パレスチナ自治区・ベイトジャラ 2010年


18年目のベルリン




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