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クリスティーネとベトナムを撮る


「人の好み」と言うのは千差万別である。たとえそれが夫婦や恋人どうしであっても、育ってきた個々の環境によって「好みや趣味、興味の対象」というのは自ずと違ってくるものだ。個々を尊重して「自分が全くもって理解できない趣味」に没頭するパートナーを自由に泳がせてあげるのもひとつの愛情かもしれない。


さて、僕が書きたかったのは例によって写真の話だ。ベトナムのニンビンという街で僕はクリスティーネという女性と知り合った。ドイツ人の写真家だ。意気投合した僕らはある日、郊外の村々まで自転車に乗って一緒に写真を撮りに行くことになった。そして僕は痛感した。「写真家と共に写真を撮ってまわることがこれほど不自由なものなのか」と(笑)

つまり、被写体を自由に選べる条件下ではレンズの向く方向も百人百様ということだ。クリスティーネは水田での農作業を好んで撮っていたから郊外へ、僕は「人」が専門なので村の方へ足が向く。それはまるで「綱引き」のようだ。おそらく、欧州育ちの彼女にとっては水田で腰を曲げて重労働をする農婦の姿は神聖なものに見えるに違いない。一方僕にとってそれは日本で見慣れた風景だった。彼女が水田地帯で写真を撮る間待つ僕。そして、僕が村で写真を撮る間待つ彼女。自分が写真を撮っている間待たれているというのは、実に落ち着かないものである(笑)

そんな「ちよっとした不自由」を感じながら僕らは一日写真を撮り、街に向かってペダルをこぐ。日はもう山の後ろ側に回り、灰色の空から今にも雨粒が落ちてきそうだ。急がないといけない。
山間の砂利道。小さな街灯の下、携帯ゲーム機で遊ぶ少女をクリスティーネが見つけた。彼女がすかさずカメラを向ける。その時、反対から自転車に乗って家路を急ぐオヤジさんがひとり。大きなパンを前籠に載せている。僕は写真を撮らせてもらうことにした。
夕暮れのベトナムの田舎道、まるで互いに援護射撃をするかのように背中を合わせ、全く逆の方向に向けてカメラを構えているふたりの写真家の姿はなんとなく滑稽だ。時を同じくして撮ったふたりの写真を昔のレコードのA面B面のように貼り合わせたらきっと面白いだろう。


その後、再びクリスティーネと写真を撮りに行くことはなかった。別に彼女と仲が悪くなったわけではない。人には「どうしても譲れない部分」というのがあるということだ。春先のベトナム北部の気候は不順。しかし、僕はだんだんモノトーンの田舎町に魅力を感じるようになっていた。クリスティーネはというと肌寒い気候に嫌気がさしてしまった様子。数日後、彼女は太陽を求めてタイのバンコクへと旅立っていった。


2007年4月記



今日の一枚
”自転車カゴの中のパン ” ベトナム・タムコック 2004年




fumikatz osada photographie