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ほぼ環状線


アンダーグラウンド(地下鉄)の終電に乗るためにみんな走る走る。これを逃したらナイトバスだ。僕もロンドン・キングスクロス駅の地下道を走り、息を切らせてサークルラインに飛び乗った。滑り込みセーフ。下車駅のアールズコートまでは何駅だろう?地下鉄は正しい方向に進んでいた。しかし、途中から見覚えのない駅名になった、と思ったらいつの間にか地上に出ていた。夜だからはっきりとはわからないが景色もなんとなくいつもと違うような気がする。それでも特に不信感を抱かなかったのは自分が確かに「サークルライン(環状線)」に乗ったという安心感であろうか。


まばらになっていく街灯、閑散としていく車内。それにしても、もうずいぶん長い間走っているような気がする。サラリーマン風の男が車内を通り過ぎる。僕の向かいに座った旅行者らしいカップルが不安げに尋ねる。「すみません。この列車はどこに向かっているのでしょうか?」「えっ?キミたちどこへ行きたいの?」二人はロンドン市内の地名を挙げた。「おっと、ダメだダメだ。いまキミたちはロンドンからどんどん離れていっているよ」えっ、ロンドンからドンドン?(笑)僕は愕然としてから手を挙げて「あのー、私もアールズコートに行きたかったんですが」「なんだキミもか。さっ、降りよう降りよう」僕らは次の駅で列車を降りた。そこはどうやら、男の下車駅らしかった。

「どうする?ここからタクシーで市内まで戻ると結構高くつくよ。僕がいつも使っている白タクでよければ呼んであげるけど」
当然、こんな郊外の小さな駅で夜を明かすつもりはない。僕と旅行者のカップルは男に白タクを呼んでもらうことにした。彼の話によれば終電に限ってサークルラインが郊外に向かうらしい。そんなこと普段からの利用者でなければ知る由もない。ハンマー投げのハンマーのように「クルクル、ポーン」と飛んでいってしまうなんて、それでは「環状線」ではないではないか。せめて「ほぼ環状線」くらいの名前にしておいてくれたら僕も少しは注意を払っただろう。
そういえば、ロンドンの地下鉄は常識外れたことが多くて、クリスマスに終日運休していたなんてこともあった。


白タクが来たのを見届けるとサラリーマン風の男は去っていった。何はともあれ親切には感謝したい。タクシーの若い運転手はアフガニスタン人だった。旅行者らしいカップルはイスラエル人。世界情勢を反映したなんとなく緊迫した車内になった。ロンドンの街中でイスラエル人カップルを下ろすと運転手がぼそっと言った。「イスラエル人だったね」「うん」車内にしばらく沈黙が流れた。

暫くすると運転手は口を開き、突然饒舌になった。「ところで、どうなの最近の東京は?俺の弟が日本で働いていたんだよ」なんとなく今まで幾度も聞いたような台詞だ。「一人で来ているの?旅行?宿はどこだっけ?アールズコート。あの辺は道で女買えるよ。もう買った?35ポンドが上限だよ。それ以上吹っ掛けてきたらやめといたほうがいいよ」


環状線から外れた夜、僕は世界情勢から女の話まで白タクの中で色々なことを学んだ。


2007年5月記



今日の一枚
”プロジェクション・クロック ” イギリス・ロンドン 1992年




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