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スタッテンアイランドフェリーとアーサーの思い出 その1


ニューヨークでの生活の半分以上を僕はスタッテンアイランドで過ごした。ニューヨーク湾を挟んでマンハッタンの対岸にある島だ。大きな島の中ほどにはゴミの埋立地があってNY中のゴミが集まってくる。したがって、夏は風向きによって少々匂う。しかし、スタッテンアイランドは他の区、例えばブルックリンやクィーンズに比べると自然が多く残っていて環境が良かった。

それでいて、島に高層アパートがゴチャゴチャと立ち並ばないのは、そこがマンハッタンへ通勤するには少々不便な場所だからかもしれない。マンハッタンへの公共の交通手段が「船」しかないのだ。ちなみに、ブルックリンもクィーンズもブロンクスも、そしてお隣のニュージャージー州でさえもマンハッタンとは地下鉄でつながっている

逆に言うと、この「スタッテンアイランドフェリー」はスタッテン島民たちの貴重な足だ。フェリーは片道30分。終夜運転で毎日、自由の女神の足元を行ったり来たりしている。おそらく女神にとってはかなり目障りな存在に違いない。しかし、僕はこのフェリーが大好きだった。いや、正確には「フェリーに乗っている30分間」が好きだった。


ベーグルとコーヒー、そしてコールスローサラダがあれば完璧な朝食の出来上がり。最後に新聞を買ってフェリーに乗り込む。天気や気分に合わせて座る場所を選ぶ。今日は甲板のベンチで潮風を浴びようか、それとも船内でくつろごうか。朝食片手に新聞の読みたい面だけ読んで、その日やらなければならない仕事や、授業のことを考える。ローワーマンハッタンの高層ビル群が徐々に近づいてくる。やがて、出口となる甲板に乗客が集まってくる。

船着場は丸太の塀で囲まれた「ビリヤードのポケット」のよう。船はここに船首をはめ込む。バキバキバキッと豪快で実にアメリカ的だ。下手な操縦士はポケットの土手に船首をぶつけた。そんな時、甲板で下船を待つ客たちは、大抵大きくよろけて首をふり、”Shit!”と吐き捨てるように言うのだった。ブリッジが降りてマンハッタンに踏み出す。「さあ、一日が始まるぞ」と気が引き締まる。

一日を終えてフェリーに乗ると「ほっ」と一安心。摩天楼の夜景を見ながらその日あったことをもう一度思い出す。船内では日替わりでパフォーマーが演奏する。靴磨きのおじさんが声をかけてくる”Shine! Shoe shine my friend? Shine!”
見た顔が乗っていたりするとビールでも飲みながら甲板で話し込む。だらだらと2時間も話し込むのではなく30分間だけ。スタッテンアイランド側のセントジョージターミナルに着くまでに話を完結させる。船が着いたら「じゃあね」と別れる。


僕にとってフェリーの30分は気持ちを切り替える時間、日常にきちっとした折り目をつける時間だった。頻繁に人が乗り降りし、立錐の余地もないラッシュアワーの地下鉄ではこれほど贅沢な時間は持てまい。


2006年9月記



今日の一枚
” フェリー・ブリッジ ” アメリカ・ニューヨーク州・ニューヨーク 1995年


 故郷を遠く離れて スタイヴサントプレイスのハロウィン ホタル




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