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故郷を遠く離れて


1ヶ月以上探していたマンハッタンのアパートがやっと決まった。クリスマスイブの夕方のことだ。僕と新しいルームメイトは「成約祝い」ということで、不動産屋の男が持っていたクリスマスパーティー用の酒を半ば強引にいただいた。「年の瀬までもつれ込んでやっと決まったのだ。酒ぐらい貰ってもバチはあたるまい」自分のことしか考えていない実に身勝手な理屈である(笑)


膨大な量の契約書の条項ひとつひとつに僅か5分でサインをして無事入居となった。ウォール街界隈のビル、8階の2BRだ。希望したわけではないが浴室にサウナが併設されていた。ラッキーなおまけは良いが、このアパート、肝心な部分が欠如していた。暖房が電気で、音が大きいわりに効かない。ハイシーリングの広々した内装もここでは仇になった。スチームなら無料なのに・・・契約書をもっと読み込んでおけばよかった。しかし、後の祭り。2ヵ月後、僕は電気代の請求額に目を丸くした。


さて、多々問題はあったが、僕はこのアパートがたいへん気に入っていた。部屋の窓からは狭い道路を挟んで隣のビルの窓が見える。「窓友達」もできた。にょきにょきと下から生えてくるレンガ作りのビル群に、屋根の上の給水タンク、ベッドに寝そべって見上げると今はなきツインタワーの頭が見えた。イーストヴィレッジの静かな環境も良いだろうが、タテヨコに高さの加わった空間に暮らす感覚はここでしか味わえない。


大晦日にスタッテンアイランドの旧アパートから最後の荷物を運んだ。キャスター付きの折りたたみベッドだ。むき出しのまま道路を転がし満員のフェリーに乗り、ウォール街の証券取引所の前を通り、人ごみを掻き分けて新居まで運んだ。我ながら大胆なことをやったものだ。引越しを無事終え、日本人の友人たちを呼んで12時間遅れで放送される紅白歌合戦を見た。サウナから出たばかりの体には少し肌寒い部屋の中で「今年もいろいろあったね」と話しながら年越しそばを食べた。「そうだ不動産屋からもらった酒もあるよ」番組内で蛍の光が流れるころ、サウス・ストリート・シーポートの方角でカウントダウンの歓声が上がり、新しい年を知らせる花火が打ち上がった。


マンハッタンの片隅でのささやかな年越し。当時、僕は自分の中の日本的なもの、「甘ったるさ」のようなようなものを極力消そうとしていた。「アメリカに住んでいるのだから」というのがその理由だ。しかし、そうすればするほど自分の中の日本人臭さが表に出てくる。それがすごく嫌だった。
しかし、今は考え方が変わった。少しだけオトナになったのだろうか。どこに住んでいようと自分の中の「日本人」を消す必要はないのだ。異国の地で同郷の人たちが集まって迎えた新年が、そういうささやかな営みが、今なんだか懐かしく思い返される。


「あけましておめでとう」挨拶が終わると、キッチンからもちの焼ける匂いがしてきた。TVの画面はいつしかタイムズスクエアの人ごみに変わっていた。


2005年12月記



今日の一枚
”部屋の窓からの眺め” アメリカ・ニューヨーク 1992年


冬の庭  向かいのビルの金魚たち




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