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ヴィルジュイフ


あの夏は肌寒くて実にパワーのない夏だった。なにしろ7月14日のフランス革命記念日の気温はわずか12℃なのだから。
ひと月パリで部屋を借りるなどと計画したのはよいが「本当にそんなことが可能なのだろうか?」と僕は着いてから不安になってしまった。とにかくこの街に腰をすえて写真が撮りたかったのだ。
不動産屋やら新聞広告やらで当たりをつけて、結局、僅か3日で僕は念願のパリの部屋を手にした。良かれ悪しかれそういった強い願望やタイムリミットがあるとどうにかなってしまうものなのだ。いや、一番大切なのは「運とタイミング」かもしれない。僕は運が良かったのだ。新聞広告を見て電話した日本人のマダムのご主人の会社の同僚の奥様の友人宅を紹介してもらえたのだから、これを「運」と呼ばずして何と呼ぶだろう。


さて、こうして手に入れた部屋は厳密にいうとパリの街の外側。メトロ7号線のヴィルジュイフ=ポール・ヴァイヤン・クチュリエというのが最寄り駅。「クチュリエ」というのはフランス語の「お針子、仕立て屋」の意だと思ったら違った。P.V.クチュリエとは著名なジャーナリストのちに政治家、仏共産党の創設に携った人物の名前だそうだ。
部屋がある建物はレンガ作りで外観はかなり年季が入っていたが、中はきれいに改修されていた。白い壁と窓から差し込む陽の光がリビングの雰囲気をより明るくしている。家主のマダムの娘さんが独立して一部屋空きができたらしく、僕はその部屋を間借りした。2階の部屋の窓からは裏庭の木の上半分が見え、葉が風に揺れている。実に住み心地の良い家だった。


ヴィルジュイフの家を基点にして僕は毎日カメラをぶら下げてメトロに乗った。そしておよそ一ヶ月、パリの街をくまなく歩き回り写真を撮った。パリの20区はそれぞれ特徴があって面白い。もちろん東京23区にだってそれぞれ特色がある。でも、パリの区はもっと色が濃い。庶民が暮らす場所がある一方で、高級住宅が集まる区に住む裕福層は限りなくリッチだ。移民たちの文化を背景にした特徴的な区もある。 墓と病院ばかりの区。そしてもちろん「パリの象徴」ともいえる観光名所を抱える区も・・・そういった特徴的な界隈を僕は毎日ひとつずつまわった。おかげさまでパリの地理にはかなり詳しくなった(笑)


一日中歩き疲れてヴィルジュイフに戻ってくる。午後8時、まだまだ十分明るい。途中のパン屋で夕食用のデミバゲット(半分のバゲットパン)を買う。それを歩きながら少しずつ食べてしまい、結局1本丸ごと買ったほうがよかったといつも後悔した。夕食を食べると仕事から戻ったマダムとその日あったことなどを拙い言葉で話す。それはフランス語を勉強するのにも理想的な環境だったのかもしれない。


けれども、僕はヴィルジュイフに暮らしながらパリばかり見すぎていたようだ。VILL JUIFが実はユダヤ人の町という意味だと知ったのは恥ずかしながら日本に帰ってからである。レンガ造りの古い家々が建ち並ぶあの界隈はいった
いどんな歴史を持っているのだろうか。
フランスを称して「パリ以外はすべて偉大なる田舎」と言うけれど、言い換えれば小さなコミュニティーがそれぞれ歴史と誇りをもっているということかもしれない。イタリア広場でパリの街壁を一歩踏み出せば、そこから本当のフランスが始まる。その第一番目の町がヴィルジュイフだとすれば、やはり僕はこの界隈についてきちんと学ぶべきだった。


2006年7月記



今日の一枚
” 野外映画 ” フランス・パリ 2001年


サイゴンの病院で精密検査を受ける  腐れ縁のまち




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