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上を向いて歩こう その1


「旅先で出会う人が皆心優しい友である」というのはTV番組の中だけの話。現実はかなり違う。


キューバもそうだった。「やい、Chinito(ちっちゃな中国人)こっちへ来い!」と呼ばれたり、石を投げられたり、毎日そんなことの繰り返し。日が西に傾く頃、身も心も疲れ果てて僕は教会に行く。教会の中だけはひとりになれるからだ。そして、神に懺悔する。「私は今日もこの国の人たちに対して大声を上げてしまいました」と。

ヴィニャーレスという町でも、例によって僕はイライラの連続だった。教会の代わりにその日はバーに行って酒を飲んだ。暫くするとギターを抱えた流しが入って来た。1曲やった後で「やい、ちっちゃい中国人。なにか歌え」と声をかけてきた。「ああ、酒の時間までこれか。1曲歌うからしっかり伴奏しろよ」と僕は答えた。

とっさの思いつきで「上を向いて歩こう」を歌った、なぜそれを選曲したのかは解らない。おそらく、海外で最も知られていそうな日本の曲だからだろう。ところが、流しは曲を知らないらしく、途中までコードを探っていたが諦め、最後は完全にアカペラになった。
「僕はなぜこんなキューバの片田舎のバーで『上を向いて歩こう』を歌っているのだろうか?」
歌い終えると他の客からパラパラとまばらな拍手。「ああ、気分が悪い。世辞のひとつも言ってくれ!」


完全にふて腐れている僕のところに一人の男がやって来た。
「俺カルロス、この近くに住んでいるんだけど、良かったら明日の朝、気晴らしにカバージョやりに来ない?」男は顔の前でバットを握るような仕草をしながら言った。「あれ?カバージョって何だっけな?」酔っ払っているせいか頭がまわらない。「カバージョとは畑仕事のことだ」と勝手に解釈した。彼が握る仕草をしていたのはおそらく鍬だろう。「ここで畑仕事を手伝うのも気晴らしになるな」と僕はすぐにOKした。

帰り道「あれ?カバージョって畑仕事ではなかったような気がするな」という小さな疑問が浮かんだが、スペイン語の辞書を開くエネルギーさえも僕は使い果たしていた。


2005年6月記



今日の一枚
”ラバナ” キューバ・ハバナ 1998年


1 草原の小さなYHと受付嬢  ボレ空港の出稼ぎ娘~消えゆく日本 その2




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