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ウクライナ 中編


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マリウポリの海岸線はのどかな砂浜と釣り人が集う埠頭、そして残りの大部分を占めるのが「アゾフスタリ製鉄所」の広大な敷地だ。貨車用の線路が引き込まれ、鉄くずや石炭が置かれた資材置き場の遥か彼方に製鉄所の施設がならび、煙突からもくもくと煙 が上がっていた。


4月19日付の毎日新聞によれば
「ウクライナ側の民族主義者の準軍事組織「アゾフ大隊」が拠点にするアゾフスタリ製鉄所に子供を含む市民1000人が避 難し、ロシア・DPR(ドネツク人民共和国)軍に対して必死の抵抗を続けている」と (いつものように)ウクライナ当局が発表したそうだ。
ウクライナ側のネオナチの準軍事組織が抵抗を続け、街の一角の製鉄所に籠城している。 これ、どう読んでも人質でしょう?人間の盾でしょう? この人たちは果たして善なの?悪なの? すると新聞は慌てて「アゾフ」の説明を始める。
ウクライナ当局の発表や西側のメディアの記事ばかりコピペして紙面にしているから、だんだん辻褄が合わなくなってくる。 (ちなみに、毎日新聞の記者はブリュッセルでこの記事を書いている)
ウクライナの外相はマリウポリの部隊が全滅した場合は停戦交渉が破綻になるだろうと語っている。 (米CBSテレビで語った内容をコピーした毎日新聞の記事)
おそらく、はなから停戦交渉をする気などないのであろう。 本当に国民の安全を願う政府ならば非難民が攻撃にさらされる前に停戦交渉を行うであろうし、マリウポリが甚大な被害を被る前に停戦を進めるべきだったろう。
さらに同日付の毎日新聞は「通信アプリ」に投稿したマリウポリ市長顧問の話として市民がマリウポリに出入りすることを禁 じていると報道。 (実際にこの人が街に出たことがあるのか甚だ疑問だが)
マリウポリから西部のリビウに避難した男性の話として、住民に対して親ロシア的かどうかの選別が始まったと共同電を掲載 している。(この誤解もこの章で説明します)


まず、アゾフスタリ製鉄所のその後から。
ロシアはマリウポリの完全制圧と解放を発表し、製鉄所への攻撃を回避した。
プーチン大統領は製鉄所を完全封鎖。 地下に網の目のように広がる壕にこもる外国人義勇兵を含む2000人のウクライナ軍に対して武器を置いての投降を呼びかけた。 同時に投降者には身の安全を保障し、適切な医療をうける約束もした。ちなみに人道回廊は3月21日からずっと開いている。(以上TASS通信より)


さて、本題。
ジャーナリスト岩上安身氏のサイト「IWJ」はウクライナ戦争のニュースを東西両サイドの視点からフォローし続けている。
IWJの話はちょっと置いておいて(すみません)同サイトで紹介されていたアメリカ人ジャーナリスト、パトリック・ランカスター氏のYouTubeチャンネルについて触れたい。
プロフィールによればP・ランカスター氏は米海軍の退役軍人で独立系クラウドファンディングのジャーナリスト。 8年にわたりウクライナの反政権側地域(DPRドネツク人民共和国)からのリポートを続けるほか、ナゴルノカラバフをめぐるアルメニア、アゼルバイジャンの紛争を取材。 戦下のマリウポリで取材を続けてきた唯一の西側ジャーナリスト。


多くの西側メディアとは違い、彼は現地の市民の声を拾い上げている。
DPRの住民にウクライナ政府が何をしているのか。 マリウポリで何が起こっているのか。 ドネツクやマリウポリの人々がウクライナ政府やロシアに対して何を思うのか。 同氏の動画を見るとあなたが大手メディアで知るのとは全く違った真実が見えてくる。
ロシア寄りに編集された映像だという人もいるかもしれない。 しかし、ここに出てくる膨大な人数の戦下の人々の証言がフェイクだとは到底思えない。 少なくとも、ウクライナ側の政府の発表や西側のメディアのコピーで埋まる日本のメディアよりはずっと真実を伝えているような気がする。


いや、主観を混ぜるのはやめよう。
ランカスター氏自身、戦争では双方の報道に目を通し自分の頭で真実を判断することが重要だと語っている。
同氏はYouTubeチャンネルをシェアしてください、と訴えているので取り急ぎここにリンクを貼りたい。

https://www.youtube.com/c/PatrickLancasterNewsToday

のちほどビデオを見て私なりに感じたこと、見えてきたことを書きたいと思う。まずはあなた自身の目で確かめてください。


ここで一つ訂正をさせてください。 ウクライナ東部(マリウポリを含む)の過半数を占める人々を「ロシア系」と書いてきましたが。 正確には欧米寄りの現ウクライナ政権に反対する立場をとる人たち、従来からのロシアとの良好な関係を保とうとする人たちのことです。 大手メディアは便宜的に「ロシア語話者」と呼んでいますがその呼び方も少し違うような気がします。



2022年4月記


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ドネツク


パトリック・ランカスター氏が拠点にしているドネツクの街はロシアが独立を承認したドネツク人民共和国(DPR)の中心都市だ。 (もちろんウクライナは領有を主張している)


3月中旬この町の中心部がウクライナ軍のクラスターロケット弾の攻撃を受け26人の市民が死亡した。
市バスの乗客、歩行者、車の中の市民が飛び散る破片によって無差別に殺傷された。 動画は直後の様子を生々しくとらえている。


3週間後、同じくドネツク市内の住宅地にウクライナ軍のロケット弾が着弾した。
住民は「昨夜午前2時半ごろ攻撃を受け、寝ていたら爆発とともにすべてが崩れ落ちてきた」と語る。
また、別の住民は「ここは軍事施設じゃありません。民家です。 しかも、頻繁に攻撃を受けている郊外ではなく市中です。なぜ平和に暮らしている市民が攻撃されなければいけないのでしょう?」と話す。
PL - 欧米の人たちに誰から攻撃されたかという事実を説明していただけませんか? -
住民「断言することはできません。でもここにいる人たちはみなどこからの攻撃で誰からの攻撃かよくわかっていると思います」
PL - だれがやったかを話すのは怖いですか? -
住民「もちろん。「彼ら」は「向こう」からすべてを監視していますから何があるかわかりません。 今はただショックで涙さえ出ません。彼らがなぜこんなことをするのか私には理解できません。 私たちはただ人並みに平和な生活を送りたいのです」


ドネツクの街のど真ん中にウクライナのロケットが飛んでくるようになったのは今回の戦争が始まってからだそうだ。 しかし、郊外の町や村は2014年のクーデター以降8年間にわたってずっとウクライナ軍の無差別攻撃を受けている。

ある村の民家は最近2014年以来2回目となるウクライナからのロケット攻撃を受けた。 8年ぶり2回目というと「稀」だと錯覚するけれど、同じ家に2度である。
こういう家々がDPR内にはたくさんあるのだから、いかに頻繁にウクライナがあてずっぽうに撃ってるロケット弾が降ってきているのか想像できよう。 家だけでなくウクライナのロケット弾はドネツクの市民の命も奪っている。
ウクライナが領有を主張する住民をウクライナが攻撃しているという事実。
自宅を粉々に破壊された女性が語る「40年間まじめに働いて退職したばかりなのに、彼ら(ウクライナ政府)のお祝いはこれですか? DPRの人たちはいつも恐怖におびえながら生活しているのです」


ドネツク郊外の住宅地も2度目の攻撃を受けた。直した窓ガラスは再びウクライナの攻撃によって壊された。
住民はウクライナがなぜ自国の市民を狙うのかその理由がわからないと語る。 それでもしかし住民たちはここ(ドネツク)を離れたくないそうだ。
「西側諸国は今回の戦争は2週間で終わると言っていたが、ここでは戦争がもう8年間も続いているのです」と話すのは8年間地下シェルターで暮らす家族。 小さな子供は生まれた時からシェルター暮らしだ。
「ゼレンスキーが何と言おうと砲弾はウクライナ側から飛んできている。 彼が(世界に対して)どんなことを言ってるのか知らないけれど、ドネツクの人々の現実を見ない、知らないでそんなことを言っているとしたら彼は愚か者だ」 住民は怒りにも似た口調で話した。


ウクライナの村をウクライナの戦車が攻撃しているという目撃証言も後を絶たない。

「ロシアと戦うために来たならななぜ私たちの家を攻撃するのか?明らかにロシアに対する挑発だ。 ウクライナの戦車がDPRの人道支援を妨害している」

「ウクライナの戦車はロシアと戦いに来たのではなく村を破壊していった。 ウクライナ兵はロシア軍の軍服を盗み着て戦車で丘を登り村に攻撃を加えた、すべてロシアがやったと思わせる偽旗作戦だ」

ドネツク、マリウポリの間の町もまたウクライナ軍の攻撃を受けた。住民の証言はこうだ。
「8年にわたってウクライナ軍はDPRとウクライナの緩衝地帯に当たるこの町からドネツクを攻撃し続けた。 しかしDPRはただ一度もこの町に向かって砲撃し返すことはなかった(同じドネツクの民だから)
ウクライナ軍もまたこの町の人々を攻撃することはなかった、ところがDPR軍によって町が制圧されると豹変した。 ウクライナの戦車は去り際に街を破壊し始めた。まるで腹いせのように」


ウクライナのトーチカUというロケット弾はロシア領内にも着弾している。 ランカスター氏のビデオの中にはこの様子も映し出されている。


P.ランカスター氏の動画のDPRに関する部分を見ると、話に聞いていたウクライナ政府のドンバス地方への攻撃、迫害は事実だったのだなと思わざるを得ない。

多数の住民が同じように語っていることがらを「確からしい事実」とするならばこういうことだ。


ウクライナの戦争は2か月前から始まったものかもしれないが、ここ(ドネツク)ではクーデター直後2014年から戦争が続いている。
当てずっぽうで撃ってくるウクライナのロケット弾がいつ飛んでくるかわからない状況の中で、人々は恐怖におののきながら生活している。
攻撃は常にウクライナ領内からである。
なぜウクライナ政府がウクライナの一般市民を攻撃するのか、その理由はわからない。
彼らはドネツクの住民としてドネツク人民共和国の政府を支持している。表に立っているのはあくまでロシアではなくドネツク人民共和国である。


プーチン大統領の言ったことはこの事実と相違しているだろうか?
不思議なのはなぜ西側のメディアがここで起こってきた事実を報道しないのか?ということだ。
なぜ、リビウやキエフといった西ウクライナにばかり張り付いて、ドネツクやロシア側に入ってこないのか本当に不思議だ。
ウクライナ政府の発表を信じ、ドンバスへのウクライナ政府の武力弾圧をないものとして扱って来たメディアは
「ロケットも降ってこない安全なドネツク」に取材に入ったらどうだ。ウクライナと違いここでは言論は自由だ。
まるでそこに報道するとまずい事実があるかのようだ。逆に読み解いていくと報道されるとまずい事実はここに書いてきたことであり、住民の証言である。 ウクライナ政府が自国民に砲弾を撃ち込み命や、生活を奪っているという事実である。

「ウクライナはただテリトリーが欲しいだけ。私たち住民はいらないの。だから私たちを追い出したいのよ」
住民の言葉がすべてを物語っている。これは、この後書くマリウポリの住民の声とも重なる。


追記:5月1日ー3日ドネツク・マリウポリ間のイェレノフカの住宅地と学校がウクライナのグラッドミサイルの攻撃を受けた。 学校長は「ウクライナの偵察ドローンは頻繁に飛んでくるのでここが学校であることはわかっているはず」と語る。 日本政府がウクライナ政府に贈ったドローンはこういうところに使われるかもしれない。

5月5日、ドネツク郊外の石油プラントがウクライナのロケット弾攻撃を受け火災。死者もでた。 これを受けロシアのプーチン大統領はウクライナ政府への軍事支援停止を西側諸国へ要求した。

あなたが送るウクライナ政府への支援がドンバス地方の人々の命を奪う武器になることをよく考えて欲しい。 また、ウクライナ政府への人道支援援助は当然この地域の人たちには届くはずもない。


2022年5月記

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マリウポリ

まず、マリウポリという町についてある程度の歴史的な流れを抑えておかないと、動画に登場する市民たちの声はにわかに信じがたいかもしれない。 日本や西側の大手メディアの報道とまったく違うからだ。

もともとこの町は親ロシア派の住民が多く、同じ親ロシア派の政治家を支持していた。 2014年のクーデターによって政権を奪った現ウクライナ政府には反対の立場をとる人がほとんどだった。
クリミアのようにマリウポリでもドネツク人民共和国(DPR)として分離独立のための住民投票が行われた。 結果は89%の人がウクライナからの独立に票を投じた。
この時点でマリウポリの市民の心はすでにキエフの政府から離れていることが証明されている。
ウクライナ政府はこの投票結果を認めずマリウポリは市街戦にさらされる。ウクライナ政府が送り込んだ軍(アゾフ大隊)とDPRを支持する部隊との戦闘だ。
この時はアゾフが勝利し町を制圧した。翌2015年には今度はDPR・ロシア側からの攻撃があった。 その後は他のドンバスの町と違いマリウポリは比較的静かな期間が続いた。


しかし、その後もアゾフ大隊はこの町の左岸(マリウポリ湾の左側)にとどまりDPR側の攻撃に備えた。 同時に大隊はいわば政府への反乱分子の監視を行うようになった。
市民はアゾフが駐留するようになって町の空気は確実に重々しくなったと語る。ネオナチと市民は彼らを呼ぶ。
ナチスの鉤十字の入れ墨をし、旗を車に立て、夜な夜なナイトクラブで飲んだくれていたと話す。
アゾフ兵たちがどれほど本気でナチズムに傾倒していたかはわからないが、少なくとも一般市民に銃を向けるようなことはなかったようだ、今回の戦闘が始まるまでは。


鎮静状態は続いたがウクライナ政府は他のドンバス地方と同様、市議会議員選挙などの延期や中止、避難民などの有権者の除外といった様々な選挙工作を行った。 この地で野党に勝たせ政権に反対する人たちの声を大きくさせることは何が何でも避けなければならない。 そのために政府はいかなる工作も行った。
自分たちの都合によってウクライナ国民として扱われたり、扱われなかったり、マリウポリの人々はそんなウクライナ政府に嫌気がさしていた。
2019年の大統領選挙でマリウポリ市民の選択は親ロシア派のユーリ・ボイコ氏だった。しかし決選投票には残れず前大統領のポロシェンコ氏とゼレンスキー氏の一騎打ちとなった。 ゼレンスキー氏は公約として「少なくとも1年間はドンバスでの戦争を停戦する」と訴えマリウポリでも票を集めた。

ところが、ゼレンスキー大統領は1年も経たないうちに公約も停戦合意も破り、ドンバスに攻撃をしかけた。マリウポリも今回の戦争で壊滅状態になった。
ここまで読んでいただけると、日本や西側のメディアが報じている事柄は実際にマリウポリ市民が戦場で感じていることが大きく違いそうだということが予想できるだろう。


ランカスター氏の動画はここ2か月のものをすべて見た。
最初は簡潔にまとめようと思ったが何分量が多く、また下手に自分で編集するのもいやだったので時間を追ったメモ書きのような形になった。 長いので時間の許す方はどうぞ。




P.ランカスター氏が最初にマリウポリに入った映像は3/20にアップされている。
街に向かう車中から映し出される反対車線は街を脱出する車で大渋滞だ。 動画の中で「今日人道回廊が設置された」と氏も言っているので、プーチン大統領が語った「3月24日から人道回廊は開いている」の説明に大きな相違は見られない。
もちろんドネツク人民共和国(DPR)に通じる避難経路だろうが、戦争において避難する一般市民はどちらの側であろうとも人道上の一切の不利益を被ることはないというのは当然のルールだろう。
戦闘が激化するマリウポリは混沌とし人々は混乱していた。丸焦げになった高層アパート群が痛々しい。



ドネツク人民共和国内の難民キャンプ

ロシアとドネツク人民共和国が設置した難民キャンプ。 マリウポリから避難してきた人々にDPRエマージェンシーサービスによってテントの居住スペースと食事が振舞われている。
マリウポリの人口は50万人だが、この時点ではまだ30万人の人が破壊された街の中にとどまっていたことになる。 このキャンプにたどり着いたのはまだまだほんの一握りの人たちだけだ。


若い女性は次のように話している
「戦火が拡大しそうなので地下室から出て避難した方がよい、というロシアとチェチェンの兵士の助言で街を脱出できた。 食事と水をもらい、今後のアドバイスも受けた。お金も家も町も失い今後の身の振り方は全くわからない。 戦闘がすぐに終わるものだと思って避難が遅れた。外からの情報は全く無く、どこが安全な場所かもわからなかった。
ウクライナ兵の姿はほとんど見なかった。ある日家の近くで見かけたウクライナ兵に、ドネツク出身の隣人がどのように安全に避難できるか聞いたことがある。
彼らは方法を調べたがわからず、この街は『英雄の街』だから心配しなくても大丈夫だ、と言われた。 (彼らの言う英雄とはマリウポリの市民のことらしい)
生まれ育ったところだからいずれウクライナに戻りたい。マリウポリが建て直され平和が戻れば元の生活に戻りたい」



隣接する幼稚園の子連れの避難民は
「1か月も地下室にこもっていた。水も食べ物もなく。怖かった。このキャンプ来る決意は5分で固まった。
私の住む通りはもはや3軒しか家が残っていなかったから近所の人達を集めて避難した。攻撃がひどくて外に料理にも出られなかった。 なぜここにきたのか?選択肢がなかったから。救援はロシア側からしか来ないから」
PL - ウクライナ軍は何もしてくれなかったのですか?
「してくれない。レニングラードが包囲されたときでさえ人々は200gのパンを配給されたのに。 マリウポリが包囲されたとアナウンスされたとき私たちは自助を要求されたのだ。
子供たちに水も電気も暖房もそしてなによりシェルターを用意しなければならない。でも、マリウポリには今回のような強力な爆撃から逃れるような大きなシェルターがないのです。
ウクライナ軍は我々に逃げることを許しませんでした。彼らは私たちのことを『英雄』と呼び丸腰の私たちに自分の身は自分で守れと言ったのです。
ここにいるのは残酷にもすべてから切り離された子供と母親です。本来ならウクライナ政府がケアするべきですが。彼らは何もしてくれません」
PL - 今後はどうするつもりですか?
「私たちはロシアにたくさんの親戚がいます。祖母のところへいくつもりです」



人道回廊がDPR・ロシア側によって設置され、マリウポリの住民たちが避難している様子は映像にも映っているが基本的には自家用車で非難するしか方法はなかった。 また、難民キャンプにいるのはそこから先に逃げる場所のある人々に限られ、その多くがロシアやDPRの身寄りのところに向かっていた。

結局、砲弾降り注ぐ街に残されるのは老人や子供、車を持っていない家族になった。
DPR・ロシア側に避難すればひどい扱いを受けるという噂が流され。市街戦が始まると家の外に出ることもウクライナ軍によって制限されるようになった。
人々がいわば監禁状態になっている傍ら、ウクライナ(アゾフ)の兵士は住民が暮らす集合住宅の屋上に火器をもって上がりそこを攻撃拠点にした。 住民を人間の盾にすることでロシアの反撃を国際非難につなげるという狙いだろう。

市街戦が始まるとウクライナ(アゾフ)兵士たちは団地に住む住民たちを追い出し(時には射殺し)そこを攻撃拠点にした。 住民たちは地下室でその後1か月半も震えながら過ごすことになる。
団地の前の庭はにわか作りの墓でいっぱいだ。戦闘が続き埋葬される暇も与えられない親族の遺体と地下室で寝起きしている住民もいる。
アパートの住民の女性は涙ながらに訴える。
「ゼレンスキーさん子供たちのために、母親たちのために、人々のために戦争をやめてください」


「(ランカスター氏に)お前はどこから来たんだ?アメリカがウクライナ政府に手を貸してここで戦争をおっぱじめたんだぞ。 親戚もみんな死んだ。アメリカがこのゴタゴタを引き起こしたんだ」
時に容赦ない言葉がアメリカ人の氏に投げられる。取材拒否も間々ある。


家の前で炊飯する人々

「ゼレンスキー、ポロシェンコ、その一味を殺してくれ。ウクライナ人を叩きのめしてくれ。やつらは俺たちの住処を粉々にした」
PL - 攻撃したのはロシアですか?ウクライナですか?
全員で「ウクライナだ!」
PL - 西側のメディアではロシアが攻撃していると報道されていますが?
男「ロシアのわけないだろ。ウクライナだ。目の前にウクライナ軍のトラックがとまって地雷を発射していったのだから」
「3月9日にはウクライナのトラックが信号にとまって9階建てのアパートに砲弾を撃ち込んでいった」
女「一昨日、DPRが来て建物を調べすべてウクライナ軍の地雷だと結論づけました。
砲弾はすべてウクライナ軍の陣地の方角から飛んでくるのです。DPRは建物の反対側ですから」
老女「ウクライナ兵は私たちに荷物をまとめてさっさと出ていけというのです。どこに行けというのでしょう」
男「ウクライナはアパートの住民を追い出しそこに武器を置き、攻撃拠点にするのです。
幼稚園のわきにもウクライナ軍の戦車はありますよ。彼らはそこから撃っていた。
ウクライナ軍は学校を占拠していたから戦車が周りに置かれていた。そして幼稚園の周りにも置かれていた」
PL - 私は一両日中にこの画像を公開しますよ。真実として。いいですね?
男「これは真実ですから構いません。そのかわり絶対に編集しないでくださいよ。でっち上げのセリフも入れないでくださいね」



マリウポリ郊外のロシアがコントロールする病院

ロシアにいる親戚の下に避難する中継点としている女性
「マリウポリでは2014年に住民投票が行われました。市民は2014年のクーデターに反対しクリミアやドネツクのように独立したかった。 しかし、ウクライナ政府はそれを望まなったのです。道路はきれいになり平和になったと思いきや2015年にウクライナ軍の攻撃があった。 その後は静かだったが今は町中が破壊された。
PL - 投票にはたくさんの人が来てウクライナから独立する方に投票した。なぜですか?
「私たちはロシア語話者だからです。人は子供たちに親と同じ言葉を話してもらいたいのです」
「戦争なんてナンセンスです。21世紀なのですから停戦交渉ぐらいできるはずです。
マリウポリは想像を絶する状況です。人々は生きたいのです。
今は大きな墓穴にただ遺体をうめているだけ。私たちはただ平和な生活を送りたいだけです」
PL - 町はすっかり包囲されているのになぜウクライナ軍は戦うのでしょう?なぜ停戦を提案しないのですか?なぜ武器を置かないのですか?
「わかりません兵士は命令に従わなければならないからじゃないですか?でも、マリウポリの人々は自分がなぜ殺されるのかもわからないまま死んでいるのです。 文明化された他の町のように我々も人間なのです。戦争はいやだ。もう疲れました」
「私たちは1か月も地下で暮らしていた。だれも助けに来ない、食料も薬もない。 子供が病気になったが医者に行くすべもない、DPR、ウクライナどちらが正しく間違っているかなんてわかりません。 この街の人にとってはそんなことはどちらでもいいんです。この街の人たちはとにかく爆撃と近親の死から逃れたいのです」



ウクライナ軍が拠点にしていたマリウポリ第25学校の地下室

女性が拷問され殺害されているのが発見された。地下室にはウクライナ軍のユニフォームとウクライナの国旗が置き去られている。
DPR兵「見てください。これが彼らのやってることです。普通の服に着替え武器を持ち市民のふりをして街に出ていったんです。 彼らはドアもホールもすべて破壊され武器も弾薬も持ち去られている」
「ウクライナ兵は服を着替え市民に成りすまして町中を動き回っています。しかし、実際には戦闘を目的としているのです。
脱ぎ捨てられたユニフォームの中には奇妙なサイズのものもありました。例えば38サイズの靴とか。女性用のサイズですね。 つまり、女性兵士も多く戦闘に参加しているということです」
「殺された女性はおそらく私たちを支持する一般市民です。彼女を刺殺したのは私たちはないことは明らかです。 ナチスのマークが腹に書かれているでしょう。ここに入ったときから彼女の遺体はあの状態のままです。 彼女は街の解放を喜んだかもしくは逃げ出そうとしたか?」
PL - その結果があれですか?
「彼ら(アゾフ)が何をやっているかお判りでしょう?」



4/12 マリウポリ海沿いの丘の住宅地は砲撃で無残にも焼け焦げていた。

住民の男性

「私たちはほかに行くところがないからずっとここにいます」
PL- 最後にウクライナ兵を見たのはいつですか?
「3月30日です。いや30日にはロシア軍が来たから29日です。29日の朝見ました。
ウクライナ兵が来て。ここは危険だから第37学校に逃げなさいと支持されました。 しかし、私たちは家にとどまった。その晩、学校はひどい爆撃にあいました。私たちは幸運でした」

「ゼレンスキー大統領は、まだ停戦交渉に入りたくないように思えます」
PL- ゼレンスキー大統領のステートメントから判断すると「ウクライナ兵が最後の一人になるまで戦う」ということでしょうか?
「そのとおりです。ウクライナ軍は私たちの街にしこたま攻撃を行いました。ここにきて私たちの苦しみを味わってほしいです」
PL - ウクライナ政府はどうすべきだったのでしょう?
「2015年に交渉を行うべきだったのです」
PL - つまり紛争の初期にですか?
「そうです。すべてを自分たちの思うがままに運ぼうと頑なにならず。話し合いができるなら、話し合いを行うべきでした。 なのにこんなことになってる。通りに出てみなさい。墓だらけです」

PL - あなたたちは街を出るために人道回廊に関する情報を教えてもらいましたか?
「いいえ、情報はほとんど入って来ませんでした。噂ばかりです」
PL - なぜ避難しないんですか?
「どこにも行くところがないからです。私たちにとってはこの家がすべてです。ここには何人いますか?(2家族)10人です」

PL - あなたはウクライナ兵が29日朝ここにきて「ここは危険だから第37学校に逃げろ」と言われたといいましたね?その晩学校は爆撃で破壊された。 あなたはそれを「故意」だと思いますか?
「そうとだは断言しません。私は事実を述べただけです。彼ら(ウクライナ軍)は学校は安全だから避難しろと言った。 しかし私たちは家に残った。学校は爆撃された。あとはあなた自身で考えてください」
PL - 兵士の指示通り学校に行った人はいますか?
「もちろんいます」



同じ区画の住民

「この辺りは地下水が染み出すのでうちには地下室がありません。
もうこの近所はだれも残っていません。約1週間前にみんな避難しました。
PL - ウクライナ兵を見ましたか? 「全然見ません」
PL - DPR兵は?
「見ました」
PL - DPR兵はあなたをどう扱いましたか?
「大変良かったです。ウクライナ兵は正直全く見ませんでした。私は夫と家の中に閉じこもっていましたから。
夫は近所の人を助けるために家をでました。そして二人とも同じ日に亡くなりました。
(家の前の盛土を指さし)ここが彼らの墓です。みんな一日で亡くなったのです」
PL - 何度もこの光景を見てきました。
「マリウポリのすべての庭は墓場です」



避難先から一時的にマリウポリで戻った若い夫婦

「私たちは1か月と3日地下で暮らしていました。ウクライナ政府はここで何が起こっているかの情報をまったく伝えようとしません。 そんなゼレンスキーに忠誠を誓えるでしょうか?」
PL - 彼はウクライナ軍が最後の一人になるまで降伏しないといってますが?
「市民が最後の一人になるまでというべきでしょう。悲惨です。説明する言葉もみつかりません。 家もなにもかも破壊されました。ウクライナ軍は住民を盾にしているのです。 昨日親戚の人を探しました。何も手掛かりはありません」
「1か月半前私たちは小さな子供と地下室にいました。最悪です。 2か月前にそのアパートを買ったばかりなのです。なのに地下室暮らし。 今は他の市に避難して状況は改善しました。神に感謝します」
PL - DPRとウクライナ軍のふるまいを教えてください
「兵士たちは非常によくしてくれました」
PL - ウクライナ兵の姿は見ませんが?
「私が言ってるのは私たちのDPR軍ですよ。子供のおむつも食べ物も助けてくれました。
食料も薬も彼らは必要とするものは何でも与えてくれました」
PL - 他のウクライナ国民に対してマリウポリの現状をどう訴えたいですか?
「私たちは地獄を味わってきました。できるだけ早くあなた方の政府を追い払ってください。 これが言いたいことです」
PL - あなたたちはなぜ「私たちの」DPRと呼ぶのですか?マリウポリはウクライナですよね?
「それは昔のことです。DPRは市を再建することを約束してくれました」
PL - 欧米はあくまでもマリウポリはウクライナの町で、ロシアがそこで悪いことをしていると言っていますが?
「あなたにすべてをお話します。2014年マリウポリではDPRに加わるかの住民投票が行われ、98%(実際に報じられたのは89%)の得票でDPR加入と独立が決まったのです。
しかし、誰もその事実を正面から受け止めなかった。私たちの街(マリウポリ)は2014年にウクライナ政府から見放されたのです。 街は解放されなかった。そして政府のこの街に対する態度は悪化した、まあ当然のことですが。
そこでウクライナ政府はナチ(アゾフ)を送り込んだ。ウクライナ政府はマリウポリ市民の信頼を完全に失いました」

PL- さっきナチと言いましたね?欧米はウクライナにはナチがいるとプーチンが嘘をついていると言っています。ウクライナのナチについてあなたはどうお考えですか?
「あなたは8年間ここで暮らす私たちがナチに気づかないとでもお考えですか?
彼らは酔っぱらって女と一緒にディスコに出入りしてました。私たちがそれを見ていないとでもお考えですか?
彼らは鉤十字の入れ墨をしています」
PL - ウクライナやロシア軍の人権侵害や軍事犯罪を実際に目撃したことはありますか?
「私自身は見たことはありません。しかし、同じシェルターに逃げてきた人たちによるとウクライナ兵は砲撃を免れるために子供や女性を盾にしていたといいます。 彼らもまた1か月半地下室で暮らしました。2014年のように。2014年にもウクライナはひどいことをしたのです」
PL - 紛争の初めからロシアは人々が街から避難するための人道回廊を用意していました。これについてどう思いますか?あなたたちには情報が届いていましたか?
「はい。ロシアが人道回廊を開けているという情報は入っていました。しかし、ナチ、ウクライナ軍は人々の避難を許さなかった。 彼らは叫んだのです『我々はとどまる。だからあなたたちもとどまれ』と。
私たちは自分の耳で聞いたわけではありません。でも、子供もいるし街を出るのが怖かったです。 だから地下室にこもりました。
24日にここに兵士が入ってきた時、もしウクライナ兵だったら撃ち殺されると恐怖におののきました。
しかし、我々が見たのは白い腕章。嬉しさのあまり泣き崩れました」
PL - あなた方はウクライナ国民ですか?
「はい」
PL - この先何を望みますか?
「正直に言うとロシアに加わりたいです」
PL - 本当に?
「ええ、私はそうなればいいなと思っています」
PL - あなたと同じ考えの人がたくさんいるとお考えですか?
「はい。たくさん。マリウポリ市民の半数以上はそう願っていると思います」



高齢の男性にプーチン大統領についてどう思うか?と質問

「ロシアは街の再建を約束してくれました。実際にやってくれることを見てから判断したいと思います。
マリウポリの戦闘の前、私はプーチンを支持していましたが、今はこれから何をしてくれるのかの行動を見たいと思います」
PL - ということは、もしロシアが街を再建してくれた場合あなたは政府の交代に賛同するということですか?
「どちらにせよ政府は交代するでしょう。他にありえないでしょう。市長はここ2日どこかへ逃げたまま、彼は市長なんかじゃありません。 二度と市長には選ばれないでしょう。せめて街に人道支援部隊があったら。実際に2つあるのですが両方とも戦闘中です。
1時間でも2時間でも停戦の時間をつくってくれれば。もちろん可能なはずです。しかし誰も停戦交渉を行わない。
ここはもう無政府状態で秩序などありません。アゾフに支配されているのです。
以上、私の個人的な意見です。事実はこんな感じです」



4/15 マリウポリ、破壊された住宅地

PL- ここの状況を説明してください。
男性「昨日、自転車屋から自転車で帰って来ました。日用品をゴムに交換してもらってきたのです。
そしてここがウクライナ兵(アゾフ)が私を撃ち始めた第1学校です。私は這うようにしてここを抜け出し私たちの軍隊DPRに話したのです。 彼らはここにきて銃撃を浴びせ彼を殺してくれました」
PL - それは昨日のことなんですか?
「はい。兵士は一人です。カラシニコフ銃を持って住民を撃っていたのです。ここは子供たちが勉強する学校です」
「私は戦争を経験していますがここにスターリングラードがあるとは思ってもいませんでした。
「以前は軍隊にいましたが人生で二度もこんな経験をするとは思ってもみませんでした」
PL - 従軍していたのはいつですか?今ここで起こっていることをどう思いますか?
「従軍していたのは1989年です。約束してもらったように私たちのマリウポリはは再建されると思います」
PL - 誰が約束してくれたのですか?
「DPRの兵士たちが言っていました。プーチンがコントロールしてくれると。街を再建し仕事やあらゆるものを提供してくれると」
PL - ゼレンスキーやプーチンに関してどう思いますか?
「ゼレンスキー?正直、彼を絞首刑にしたい気分です。彼が大統領になったとき1年間は戦争をしないと約束したのです。 なのにご覧のとおり。プーチンの方が聡明です。それに彼は約束は守る」
PL - でも、ウクライナ人や欧米はプーチンはウクライナ人の生活を悪化させていると言います。
「いえいえ、違いますよ。プーチンは良くやっていますよ。2014年、ウクライナ政府が我々を見放した時、私たちはプーチンを支持しました」
PL - え?誰があなたたちを見放したのですか?
「ウクライナ人です。ウクライナ政府は2014年に私たちを見放したのです。私たちがDPRを支持すると2014年に私たちを見捨てて逃げ去ったのです。 ウクライナ人は私たちを見捨て、そのうちDPRもまた私たちを見捨てたのです。みな私たちを見放した。そしてアゾフ。
これはカメラに向かって言いたい。彼らはもともと市民を撃っていた麻薬中毒患者やアル中です。それがアゾフの正体です。 彼らはここからたたき出された。よかった」
PL - それではあなたが実際にその目で見たアゾフの戦争犯罪とは何ですか?
「(昨日ここで)私を撃ったという事実です。でも私は生き延びた。私には3人の孫、妻がいます。孫たちになんと説明したらいいか。 娘はここに埋めました。子供に食料を買ってくると言って日用品店にいって帰らぬ人となりました。 彼女の遺体は10日もここに(破壊された自宅に)置き去りにされました。戦闘が続き兵士が外に出してくれなかったからです。 3人の子供の母親です。彼女の夫も死にました」



別の男性は

「3軒連続で砲撃を受けました。(普通乗用車の中で黒焦げになった3人のウクライナ兵の死体を見て)
ウクライナ兵がここで何をしていたかわからないが、奴らはそこいらじゅうにいた。
彼らは(軍用車両ではなく)普通の乗用車を運転しているんだ。多分迫撃砲を運んでいるんだな。 住宅地の区画の間を動き回り砲撃している」
PL - 確認したいのですが誰が家々を攻撃したと思いますか?
「わからない。最初の晩ウクライナ兵があちらの方角(DPR・ロシア側の陣地)に撃っていたことは確かだ。
私は土豪を掘りその中に隠れた。ウクライナ兵は砲撃し、場所を変えてふたたび撃つを繰り返した」
PL - 挑発していたというわけですね?
「はい」
PL - ゼレンスキーやプーチンに何かいうことはありますか?
「わかりません。私はどちらのロケット弾がここを破壊したかなんてどうでも良いのです。
どちらにもいうことはありません。私が望むのは平和だけです。プーチンは「平和」と口にします。ゼレンスキーも「平和」を口にします。 でもどうでしょう?これがその平和でしょうか。神の口にする平和のみが本当の平和なのです」
PL - ゼレンスキーはマリウポリは最後の一人の兵士になるまで、最後の住民一人になるまで守り続けると言っていますが?
「どこにゼレンスキーがいますか?彼は一度でもここに来たことがありますか?プーチンはどうです?
彼らは実際にここに来たことがあるのでしょうか?彼らの家族でもいい。どこにいますか?私には見えませんよ。
もし彼らがここに来てくれるなら、しばらくの間一緒にすごしてみてもらいたいけれど、あいにく彼らはいません」
「これらの家は1800年代の終わりに建てられたものだと思います。 あの建物はメトロポリタンイグナチオ協会に属するもので同じく1800年代に建てられたものです。 どれも第一次大戦、革命、市民戦争、第二次大戦を生き延びてきた建物なのです。 しかし、この50日間の戦争で歴史的な通り、市の礎となった通りがすべて消えてしまったのです。
だれがここを再建してくれるんですか?ゼレンスキーですか?プーチンですか? 私は彼らを善悪で区別したくありません。私はなぜこんなことになるのか理解できないだけです」



劇場の爆撃の時に現場にいた男性

「あの頃すでに戦闘が始まっていていたのですが、私たちには全く情報が伝わってこなかった。私はどこかに避難について聞きに行くことにしたのです。荷物をまとめて劇場に行きました。劇場は混乱していました。人々もまた何も情報がなかったんですね。そこで私は彼らを助けることにしました」
PL - ボランティアとして?
「はい。リーダーシップをとって援助に加わりました。医療センターや集積所、オープンキッチンなどを用意しました。
ある時点で私たちは受付を用意しました。最初の一撃が来た時です。1000人の人がいました。避難の申し込みをすでに済ませた人々です。他にまだ申し込みを済ませていない人が千人以上いました」
PL - どのように申し込みを?
「軍がいうには住所と名前を書くだけでいいと」
PL - どちらの軍ですか?
「ウクライナ軍です」
PL - 日付は?
「わかりません」
「頭の中で記憶が混じって」
PL - とにかく、あなたは劇場の地下にいたわけですね?
「いいえ。私は地下にはいませんでした。
人々は別々の場所に分散して集められたのです。すべての人が劇場の地下にいたわけではありません。
私はロビーにいました。人々は建物のいろいろなところに集められました。4階のフロアもです。
その時、地雷が建物の近くに飛んできました。それが劇場に対する初めての攻撃です。 (地雷は)劇場横のもみの木の引っかかったのです。そして爆発した。破片が周りに飛び散りました」

「そしてここからは私自身の話になるのですが。
ある日私は別のシェルターで見知らぬ人々と目を覚ましました。爆撃で苦しんで座り込んでいる自分を劇場の近くで友人が見つけてくれたらしいのです。そして彼らがほかのシェルターに運んでくれたのです。私は爆撃のショックでその後数日間のことはよく覚えていません」
PL - 結局、何人ぐらいの人が劇場にいたと思いますか?
「500人だったと彼らは言います」
PL - あなたは誰がどのように攻撃したのだと思いますか?
「私の意見ですか?飛行機は何度も上空を飛んでいました。ロシアのものだと思います」
PL - しかし、あなたは劇場の近くにウクライナ軍が攻撃拠点を構えたとおっしゃいましたね?
「はい、ウクライナ軍は劇場に時々来て近くからどこかに向かって撃っていました。朝でした。朝早くから。(その間)常に飛行機が上空を飛んでいる音を聞きました。
劇場はシェルターになっていて大勢の人がいたわけですからね、絶対に攻撃されないだろうと思ってました。しかし、彼らが言うように爆撃があった。(空爆ではなく)爆弾が仕掛けられていたという人もいます。だれかが爆弾を中に運び込み爆発したと」
PL - 劇場の中にウクライナ兵はいましたか?
「いませんでした。家族はいました5家族。誰かが兵の家族をそこにとどめるようお願いしていました。
ウクライナ軍は時々毛布を持ってきてくれました。お年寄りは常に避難所に来ましたから我々はそれを置いておかなければなりません。しかし足らない。仕方がないのでうちの毛布も全部持っていきました。今は自分でかけるものがありません。すべて劇場に置いたままです。
時々、ウクライナ軍は食料を運んできました。週に一度ぐらいです。倉庫に補給するためです」

PL - ウクライナ兵士は劇場にはいなかった。ときどき私たちに様子を聞きに来た程度だ。彼ら自身は劇場に隠れるということはしなかった。しかし、劇場が攻撃されたのは兵士がそこにいたからだと言われています。
あなたはウクライナ軍が劇場のエリアから攻撃していたと言いましたね?それでは彼らはそんなに近くにいなかったと?
「いいえ。近くです。ウクライナ軍の武器は劇場から50-100mのところに置かれました。銃器は毎朝5時から6時ごろどこかの方角に向かって撃たれました」
「お話したことは全て真実です。市民たちはどこに逃げるかもどうやって逃げるかもわからなかった。私たちは多少なりとも彼らを快適にしたかった。話したように年寄りも多かったですしね。赤十字が人道回廊を準備するという情報もありました。だから多くの人々が劇場に集まったのです。
彼らは車で集まりました。そこから車で人道回廊を通り避難できると。しかし、実際に人道回廊などなく彼らはどこにもにも避難できなかった。
結局、人々は劇場内にとどまった。地下は最初から満員でした。やがて人々はすべてのフロアを埋め尽くしたのです」



4/16
東マリウポリDPR・ロシアに制圧された地域

病院の地下シェルターの人々

「私たちは一か月半もここにいるのです。彼らはすべてを焼き払った。ガレージも全部。私たちはウクライナ軍の攻撃を食らったんだ。
PL - ウクライナ軍ですか?
「他に誰がいる?ウクライナ軍ですよ。彼らが来て一掃したんだ。彼らは外に出るなと言った。
しかし私は見たんだ。彼らが私たち市民に武器を向け撃っているのを。
ウクライナ兵はうちのガレージのそばにいて人々が街を歩き回るのをみるや銃で撃ち始めたのです。故意に。誰も歩き回らないように」
PL - ウクライナ兵と言いましたね?
「はいウクライナ兵です」
PL - 欧米ではロシア兵が市民を撃ってると報道されていますが。
「ロシア軍がこの辺にやってくる前の話ですから間違いなくウクライナ兵です。
彼らは直ちに私たちの家を囲んで迫撃砲で攻撃したのです。あなたの後ろにいる人はその砲撃で母と妻を亡くしました。彼の娘はけがをしました。私たちは彼と共に彼女をがれきの下から救い出したのです」
PL - あなた方はどうしてそれがウクライナ兵だと分かったのですか?
「ブルーの腕章をはめウクライナの旗を持っていたからです。彼らは降りて行って車両止めを設置していました。
あの時はまだ誰もDPR兵士の姿を見ませんでした。だれも町に入れなかったからです。
私たちは歩き回りましたがとても危険で怖かったです。たくさんの強盗がいました。しかしDPR兵の姿はなかった。ウクライナ兵だけが街のあちこちにいて私たちのパスポートをチェックしていました」

「迫撃砲の攻撃の後、我々は朝まで地下室に身を潜めていました。攻撃が終わった時、私は彼らのところへ行って、怪我人がいるのでここを出たいと聞きました。私たちはその人を安全な場所につれていかなければならないと。車で行こうと思っていたのでかれらの許可をもらえるか聞いたのです。
彼らの許可がおりたので私は怪我をした老女を乗せ車をスタートさせました。ところが、私たちが出ていくとすぐに彼らはうちのガレージを攻撃し始めたのです。
私たちは病院に向かい親戚に会いました。そしてここにこもることを決めたのです。一番安全な防空壕に。
PL - ここはどういうところですか?
「核シェルターです。ソ連時代の核シェルター」



同じシェルターの女性

「私たちは医療従事者です。最後まで病院に残って働いていました。多くの人たちはすでに避難したにもかかわらず最後まで患者の看護を続けました。
私どもの医師も避難しようとしたのですがウクライナ軍は彼らに川の反対岸に避難する橋の車両止めを開けてくれませんでした。
PL - ウクライナ軍は医師たちを避難させなかったのですか?
「そうです。医師たちは家族とともに8台の車に分乗して避難しようとしたのです。医師らが橋を渡ろうとしたとき、後ろからウクライナ兵が『戻ってこい。我々はだれもここから出さないぞ』と叫んでいました」

「医師たちは戻ってきて他の方法を探したのです。イリチャをぬけムクヒ通りに行きましたがそこも封鎖されていました。そこではウクライナ兵士が同じように銃を向け『戻りなさい。私たちは誰もここを通り抜ける許可を与えません』と言ったのです」
PL - ウクライナ兵がですか?理解できませんね?
「私たちにも理解できません。戦闘が始まったばかりの時郊外は爆撃され、どの病院にも人々が避難しましたし、負傷者の受け入れを準備もできていました。
しかし、負傷者の大半は病院に来なかった。ウクライナ軍がすべての救急車をもっていってしまったということがわかりました。負傷者たちはボランティアの力だけで病院に運ばれたのです」
「わかりましたか?ウクライナ軍は誰一人として病院に運ばなかったのですよ。水の配給も同じです。ボランティアが食料を配布しました。彼らが発電機の道具も何もかも用意してくれたのです。だからこそ病院は稼働できました。
患者が運び込まで稼働するまでの数時間、発電機は節電モードで動き、だからこそ病院が稼働できたのです。手術、外傷治療、ICU医療スタッフは任務をやりとげました。砲撃で振動する建物の中で。病院はたくさんの攻撃を受けましたから」

PL - その攻撃はどこからのものですか?
「わかりません。ウクライナ兵が言うにはDPRからの攻撃だそうです。しかし、私たちはDPR軍なんて見ませんでした。通り過ぎるのはウクライナの戦車ばかりです。私たちはウクライナの戦車が病院の庭に入ってくるのを見ました。庭の真ん中には人々が水をくむ井戸があって、彼らはそれを撃ち始めたのです。その結果、私たちはそこから水を汲めなくなってしまいました」

PL - どうしてウクライナ軍がそんなことをするのですか?欧米ではウクライナ軍は市民を撃たないと言っていますが?
「私にもわかりません。私たちはいつも自分たちはウクライナ人だと思っています。
ここではアゾフ大隊がウクライナ軍に代わって影響力を及ぼしているのだそうです。最初はアゾフとウクライナは連携して軍事作戦を行っていました。しかし、今はすべてがアゾフによってコントロールされています。私たちが避難させてもらえなかった事がすべてを物語っています。私たちはここから出られません」
「彼ら(アゾフ)は何度もバスを用意されるから、それで避難できると言いました。そして私たちを集め登録を行わせた。しかし一度たりとも避難のためのバスを走らせたことはないのです。彼らの正式な代表者が姿を現したこともない。彼らからの情報は噂だけです」

「そして自力で避難しようとした人たちに、彼らはそれを許しませんでした。橋は彼らによって爆破されました、歩行者用の小さな橋です。結局、人々は逃げることさえ不可能になりました」

PL - ここをウクライナ軍がコントロールしていたのはどのくらい前ですか?今はDPRとロシア軍がいるんですよね?
「今もこの上で戦闘は続いています。DPRとロシアはアゾフスタリ製鉄所からアゾフを追い出そうとしています。
ここ(地下シェルター)にいるのは家を焼かれた親戚です。仲間の医療従事者の話では私たちのアパートは戦闘の初日に焼きはらわれたそうです。わかりますか?戦闘が始まってすぐにです。私たちはいつも病院に詰めっきりでしたから。他の医療従事者も同じ状態です」

「病院の建物も破壊され、内分泌学の棟も破壊され、耳鼻咽喉科の棟も破壊されました。手術室は上の階ですが、そこも被弾しました。しかし、ミサイルに名前が書いてあるわけではないですからね。一か月後にはDPR兵の姿を見るようになりました。
すべてこの真上で起こったことです。戦車がここにきてここを攻撃拠点にしたのは事実です。ウクライナの戦車です。ここにきて、ここに隠れて撃った。戦車はここで撃ってました。ウクライナ軍は患者やけが人の陰に隠れ病院を盾にしたのです」

「ここからの攻撃はすさまじかったですよ。攻撃を終えると戦車は去りました。移動式武器や迫撃砲の攻撃も終ったとき、私たちはやっと地下シェルターに逃げ込めたのです。
DPR軍を見るようになったのは最近のことです。にもかかわらず、彼らはすでに水やパンの配給、重傷者の運搬などを行ってくれています。彼らは装甲車でホスピスから重症者やがん患者を運び出してくれています。負傷者やお年寄り、小さな子供たちを救助する手助けをしてくれています」

「私たち自身はどこにも行くところがありません。ロシアに行く理由もありません。私たちはウクライナで生まれたのですから今はその必然性を感じないのです。私たちは私たちの街マリウポリに住み続けたいのです。
だから私たちはただただ停戦を願うばかりです。私たちはただ平和が欲しいだけです。誰が実権を握ろうと関係ない。一番重要なのは平和を作り子供たちに避難生活をさせないことです」



4/16
ロシア軍の市民救出の様子

武装したロシアの部隊がまだ戦闘が続くマリウポリ市内で市民を避難させている。
路上にはウクライナ兵の死体。軍服ではなく私服だ。後から3発撃たれている。
PL - 首に巻かれたものは何ですか?
ロシア兵「白い布です。彼が投降しようとこちらに歩いて来るところをウクライナ兵が撃ったのです。彼らは後ろにあるあの病院の建物から彼を撃ちました」
PL - え?彼は誰に撃たれたんですか?
「ウクライナ軍です。アゾフです。ウクライナ人がウクライナ人を撃ったのです」



4/1
マリウポリのイリチャプラント(工場)

食料の配給を待つ女性

PL - 今日の朝ロシア国防相はイリチャプラントはロシア軍の支配下に入った、と発表しましたが?
「でも工場は稼働していないし、破壊されています。私にはどういう意味かかわりません」
PL - ウクライナ軍は今ここにいますか?
「いいえいません」
PL - ロシアとウクライナ軍についてお聞かせくださいませんか?
「ウクライナ軍は非常にルーズでした。でも、ロシア軍は助けてくれた。食料も配給してくれました」
PL - ウクライナ・アゾフは?
「いいえ。私たちはあまりあの人たちに近づきたくありません。
今は食料配給を待ってます。ここで行われると聞いたので。そんなに頻繁に配給は行われません。よくなればいいなと思います」
「娘はロシアのサンクトペテルブルクにいます。彼女は2014年にこの戦争が始まったときにあちらへ引っ越しました。彼女はここでトラムの運転手として働いていました。あっちでは企業の副所長として働いています。
私は娘を愛してます。彼女は私にサンクトペテルブルクに来るようにいいます。会うのが楽しみです。彼女に言たんですよ。私たちはもう同じ国に住んでいるのねと」



爆撃された劇場

ロビーにウクライナ軍のユニフォームが残されている。(以前の学校の地下室で見たのと同じ光景)
ロシア兵は「ウクライナ兵は逃げるために普通の服にここで着替えたのだ」と話す。
西側のメディアはロシアの爆撃によって地下に非難した住民が犠牲になったと報道するが、住民に聞くとある人はウクライナ側のアゾフが攻撃したという。 他の住民はロシアの攻撃だがウクライナ軍が避難民を盾に劇場の前から攻撃をしていたからという。証言はばらばらだ。



4/24

ロシア軍の人道支援部隊がマリウポリの前線にほど近い地域へ食料を運ぶロシア兵「住民は6週間ずっと地下に閉じ込められていたのです。食べ物もシチューもパンもなかった。 昨日、チェチェンの部隊が届けました。軍隊以外だれも彼らに物資を届けられません。チェチェンの部隊がいなかったら彼らはここに閉じ込められたままだったでしょう」
男「(自分で運びたいので)チェックポイントを通過する方法は?」
ロシア兵「どこにいるか教えてもらえば私たちが物資を運んできます。(配給を待っている人は)ここに20人座っていて、そこの建物にはさらに30人います。ここで積み荷を降ろし、あとで配布しなければいけません。このエリアの住民は何も配給をうけていません。水も食料も全くないのです。食料はここで必要とされているのです」

兵士「今、敵対行為が行われている前線に食料を届けました。ここの住民たちは本格的な人道支援物資を運ぶすべがないからです。これは食料を届ける特別な便です。 ここでは45日ぶりの便です。
別の地域で兵士は怪我をして背中に穴のあいた老人の応急手当をする。部隊は薬品も届ける。

人道支援ボランティアの男性

「私たちの地域には2万-2万5千人の市民がいます。そして緊急にインシュリンを必要としている人もです。
糖尿病の人がたくさんいるのです。遺体の処理はまた別の大きな問題です。遺体を安置する場所がないのです。
自分で墓を掘って埋める人、自分のアパートに安置する人は遺体の横で生活しています。 これがここに住む住民の緊急課題です」



ロシアの人道支援部隊が戦闘中の前線の住民に食料を運ぶ

人道支援のロシア兵「あの遺体はまだ新しいもの?」
戦闘中の兵士「そうです。一般市民です」
PL - あの遺体は市民なのですか?
兵士「ええ、一般市民です。アゾフは常に一般市民を狙撃してます。
私は自分の目ではっきり見ました。18歳の少年がガールフレンドと一緒に歩いていて、ロシアのパスポートを見せたとたんウクライナ兵が即座に彼を射殺したのです。信じられますか?」
PL - あそこにも(市民の)遺体がありますね?彼は地雷か何かの攻撃を受けたのですか?
「アゾフは攻撃拠点からドローンを飛ばしあの市民を殺害したのです。 わずか3、4時間前のことです」



アゾフスタリ製鉄所の近くの住宅地でパンを配る女性はDPR People's Council のメンバー。個人で人道支援を行っている。2週間に一度ここでパンを配る。



マリウポリの街はDPR・ロシアが制圧した地域から徐々に人々が平静を取り戻して行く様子がわかる。
現在はDPR・ロシアの支配下に入って人々の顔にも安どの表情がうかがえる。ただし、破壊された街も失った家族ももう元には戻らない。



追記

P・ランカスター氏はドネツク人民共和国・ロシア側で取材を行って来た。(だからこそマリウポリで起こったことの一部始終をレポートできた) DPRとロシアがこの街を制圧したわけだから人道支援もそちら側からがほとんどだ。市民たちとしてはなかなかDPRとロシアの悪口はいえないだろう。
しかし、それを差し引いてもこの膨大な市民たちの声(この動画に出てきたマリウポリ市民の数はおそらく100人以上だろう)、兵士の証言を目にするとおおよそ事実らしい事柄が見えてくる。
私は(DPRやロシア側に有利な)コメントを抜粋して訳文を載せたわけではない。しかし、ロシア軍が街を侵略しているとか、ロシア兵が市民を殺害しているといった証言はただの一つもなかった。 もし、あれば私はここに訳文を載せただろう。しかし、なかったのだ。ちなみにその逆、ウクライナ(アゾフ)の兵士が市民を殺害したという目撃証言はいくつもあった。
キエフでは市民を殺害した罪でロシア兵士がいわば晒し者のように裁判にかけられている。それでは、マリウポリで市民を殺害したウクライナ兵は誰が裁くのであろうか?


動画の中で気になるところがあった。それは投降しようとしたウクライナ兵を味方が背後から3発の銃弾で射殺した、というくだりだ。 ウクライナ兵はしばしば私服に着替えて戦闘を行っていることは先に触れたとおり。
銃を置き首に白い布(武器をもたない目印)を巻きロシア兵の方へよろよろと歩いてくる途中でウクライナ兵士は背後の自軍に狙撃された。
圧倒的にウクライナ政府の証言が正しいというようにブチャでの虐殺が報じられているけれど、戦争というのは大概この「虐殺の疑惑」というのを火種に拡大していくから注意が必要だ。
ちなみにロシア側はアゾフスタリ製鉄所に籠城していたウクライナ兵士たちが「(最後の血の一滴まで戦えというゼレンスキー政権の命令の下)武器を置き投降しようとするものは味方でも直ちに射殺せよ」と会話している無線を傍受したと発表した。 その中には千人近い外国人傭兵もいて人権侵害の疑いも出たが、こういった事柄も西側のニュースには全く上がらなかった。


ランカスター氏は政府や大手メディアのコメントをうのみにするのではなく双方からのニュースをきちんと見て自分の頭で考えて判断してくださいと話した。 けれども、ランカスター氏のリポートと比較できるような市民の目線に立った報道をいったいどの西側メディアが行っているのだろうか?
戦争が始まってすでに4か月なのに日本のマスコミではウクライナ政府側の発表が真実として語られている。
「マリウポリ市議会の発表では・・」市議会はキエフの政府の出先機関であろう。 「市長顧問の話では・・・」なぜ市長が出てこないのかと思ったら途中で行方をくらましてしまったそうだ。
今どこにいるかもわからないその市長は、先日NHKのネットニュースのオンラインインタビューに出演、マリウポリの惨状とロシアの罪を語った。
現場にいない市長が、現場に行かないメディアに現場の惨状を語っているのを見るとジャーナリズムもここまで落ちたかと思わざるをえない。
ロシア軍は東部で苦戦しているとか、ウクライナがハリコフを奪還したとか、マリウポリは絶望的だとか、そんなウクライナ政府の代弁はもはやジャーナリズムなどではなく戦争プロパガンダの拡散に過ぎないのではないだろうか。



2022年5月記


今日の一枚
” アゾフスタリ製鉄所 ” ウクライナ・マリウポリ 2009年
" トラムの運転手 " ウクライナ・ドネツク 2009年
" ストリートスナップ " ウクライナ・マリウポリ 2009年







fumikatz osada photographie