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鯨の浜 その8


バスを待つ間、僕は村での4日間を振り返った。
兼ねてからいくつかの疑問があった。それは「50艘以上ある捕鯨舟はそれぞれ所有者がいるのか?」「捕れた鯨や魚は誰のものなのか?」ということだ。舟の所有者に関しては結局わからなかった。一方、海で捕れたものは、魚やマンタが公平に振舞われていたことや、鯨肉が村のどの家の庭先にも吊るしてあることから考えて村民たち全員の食い扶持となり収入になっているのかもしれない。
「自給自足をし、村人の生活が鯨の上に成り立っている」ラマレラの紹介記事を読んだとき僕は俄かに信じ難かった。21世紀のこのご時勢「といいつつも最近では捕鯨以外の産業に従事する人も増えて」みたいな但し書きがつくものだと思っていた。ところが、実際に訪れたラマレラはまさに記事のとおりだった。村民にとっては今なお鯨が全てといっても過言ではない。


滞在中、村では1件の葬儀と1件の喧嘩があった。そう、喧嘩だ。鯨浜で突然1人の漁師が3人の漁師を相手に殴り合いの喧嘩を始めた。関係者の話によれば、積年の鬱憤が爆発したのだそうだ。双方無事になだめられたが、1人の漁師は怒りが収まらないらしく、長らく通りに出て大声を上げていた。自分の役割をわきまえ、てきぱきと協力しあっている間柄でも時として感情の衝突があるものなんだな。毎日顔を合わせている家族でも喧嘩をすることがあるように。
村に警察はないそうだ。喜怒哀楽はコミュニティーという家族によって包摂される。そうそう、定期的に村で行われる「集団お見合い」の話も耳にした。地方の村は世界中どこも同じような問題に直面しているようだ。


最後にもう一点。国際的な動物保護の世論の盛り上がりからラマレラへの風当たりも強いのか漁師たちはときに神経質になっていた。もちろんハッキリ口に出さないけれど。ある種の後ろめたさのような空気を感じることがあった。それを強く感じたのはマンタが上がった時だ。
ラマレラの捕鯨を「伝統文化として守るべきだ」とか「海洋生物を殺すのはけしからん」と論じるのはたぶん経済的に余裕がある外部の人たちの価値観である。この村の人たちは、伝統文化の継承のために捕鯨をしているわけではない。彼らは食べて行くために漁を行っている。


かつて捕鯨をしていた人たちが、ある時、動物を保護する側に回り今も昔ながらの方法で漁を行っている人々に抗議する。
もし彼らが一歩進んだ文明人を自負するならば、過去の失敗から学んだ知恵とやらををラマレラの人々に示してあげたらどうだろう。鯨以外でこの村の人たちが食べて行けるビジネスモデルを提示してあげてほしい。それをやらずして、自分達の現在の倫理感や価値観に合わないからと一方的に圧力をかけるのは少し違うのではないか。捕鯨の道を閉ざされ荒廃してゆく小さな村を嘲笑するのではなく、動物に注ぐのと同じだけの愛をそこに住む人間にも注いであげて欲しい。それが僕の願いだ。


村の前に広がるちっぽけな漁場が彼らの全財産。乱獲をすれば自分たちの生活に跳ね返ってくることも知っている。その証拠に鯨浜には紙くずひとつ落ちていなかった。インドネシアの海岸はどこもゴミだらけなのに・・・



2020年8月記


今日の一枚
” 格納作業 ” インドネシア・レンバタ島・ラマレラ 2018年




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