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鯨の浜 その7


四日目。ついにラマレラ最終日の朝がきた。できれば2週間は滞在したいところだ。そうすれば鯨が上がるのが見られるかもしれない。しかし、残念ながら長居はできない。なにしろ、日本とこの村を往復するだけで6日かかるのだから。レウォレバ行きのバスはかなり大雑把に午後2時か3時ごろの出発だと言われた。


朝7時前、いつものように漁師たちが準備をはじめている。昨日、一昨日とはまた別の船倉から枕木が延びている。そして、4日目にして思わぬ声がかかった。「よう、今日は一緒に漁にでるかい?」おお、何たる光栄。しかし大海原、日陰のない小舟の上で7時間か・・・鯨が現れれば世紀の瞬間を撮れるかもしれない。しかし逆に、巨大な尻尾で海に叩き落とされる可能性も・・・断った。
僕は浜を離れて岬に登った。ちょっと違った視点から出漁の風景を撮りたかったからだ。眼下に焚き木の煙にかすんだ鯨浜が見える。捕鯨の舟が2艘、今日は同時に押されている。まるで運動会の大玉ころがしのように赤組と白組の舟が枕木の上を海へと進んでゆく。ほぼ同時に進水。朝日にキラキラ光る海を2艘の舟が行くのがみえる。1艘は今までと同じく南の海域へ、もう1艘は漁場を変えて東へ向かった。いつもなら「どうか鯨が捕れますように・・」と祈っているところだが、舟に乗らなかった今日だけは「どうか鯨が捕れませんように」と不謹慎なお願いをしてしまった。やがて2艘の舟は海の青に溶けて見えなくなった。あんなに小さな舟なので陸から近いところで漁をしているのだと思ったのだが・・・「自分があれに乗船していたら」と考えたら背筋が寒くなった。


背後で話し声が聞こえてふと振り返ると、ジャージ姿の女子高校生だった。通学途中だろうか?大きな風呂敷包みを二人で運んでいる。それにしても今朝はオジェックの数も多くてなんだか忙しない。女性たちがみな買い物袋やバケツをぶら下げて通りを歩いている。しかも、その中には既に何かがたんまり入っているではないか。
宿のママが鯨の干物が入ったバケツをぶら下げて出かけて行く。「ママ、何処へ行くの?」「バーター(物々交換)」とひとこと。ああ、今日は市が立つ日なんだな。よし、行ってみよう。
アップダウンの続く山道を1.5km、ようやく市が立つ広場にたどり着いた。


けれども、日も高くなってきた広場は閑散としていて、ちらほら敷かれたビニールシートの上で売り子が果物や野菜が並べているだけ。客は全くいない。大部分の村人は買い物かごやバケツを持ったまま日陰でおしゃべりをしている。なんと盛り上がらない市なんだろう。
せっかくだから店を見て周ろうか。バナナ、パパイア、マンゴー、トマト、にんじん、葉物野菜にココナツの粉・・・種類が豊富だ。あれ?おかあさん口が真っ赤ですよ。これは、バングラデシュで見たビンロウという嗜好品だな。赤い液の出る実を噛んで合間に白い石灰を舐める噛みタバコの一種。「いやだ、恥ずかしいから写さないでよぅ」


突然、サッカーの試合のようなホイッスルが吹かれた。うおわっ、買い物かごやバケツやたらいを持った村人たちが、一斉に日陰からこちらに突進してくるではないか。すかさず、かごから例の鯨肉の干物を出し野菜売りと交渉を始める。交渉が成立すると鯨肉と果物を交換する。鯨肉が次々と野菜や果物に変わって行く。
ようやくこの市のシステムがわかった。つまり、山に住む人と、海に住む人がそれぞれの産物を持ち寄り物々交換をしているのだ。山組が受けで待ち構え、海組が一気に攻め込んできたという様相だ。うまい人は先手必勝で次々と交渉を成立させてゆく。反対に出遅れると厳しくなる。山組とて同じような干物ばかりになっても困るからだ。
上手に交換できた海組ラマレラの人たちの買い物かごは山の幸でいっぱいだ。行き交うオジェックに加えて、今日はトラックが荷台にたくさんの人をのせて広場と村を行き来している。もちろん、大多数の人たちは重い買い物桶を頭に載せて1.5kmの山道を歩く。
そろそろ村に戻らないといけない。いやあ、面白かった。この村の経済が垣間見れたような気がした。今日は漁に行かなくて正解だったな。と強がってみる。

宿に戻るとラマレラを発つバスは4時頃になるとのこと。最初は2時だったのに(笑)結局、僕はもう一枚「鯨宝くじ」のスクラッチを削れることになった。鯨浜に行くと普通の魚を獲る小舟が子供たちにも手助けされ海から上げられていた。船庫の前まで運ばれると、すかさず子供たちが舟を取り囲み魚を物色し始めた。なるほど、それが目当てか。その後、しばらくして捕鯨舟が帰ってきた。今日も鯨は捕れなかった。



2020年8月記


今日の一枚
” 新しい一日 ” インドネシア・レンバタ島・ラマレラ 2018年




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