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鯨の浜 その6


波打ち際で獲物を下ろそうと男たちが悪戦苦闘している。舟は大きく傾いているのにそいつはびくともしない。それを子供たちが遠巻きに見つめる。何人かの子供は待ちきれないとばかりに舟に飛び乗って獲物を覗き込む。鯨浜が騒然としてきた。突如、舟が最大限に傾き獲物が引きずり下ろされた。ばかでかいヒレが太陽の光にキラリと輝いた。おお、エイだ、マンタだ・・・


水族館の水槽を悠々と泳いでいたり、ダイバーのマスコットとしてのマンタは見たことがあるが、捕獲されたものをこんなに近くで見たのは初めてだ。口に牽引用のロープが括り付けられているが陸に上がったマンタはとにかく重い。2人の男がなんとか砂浜まで引き上げたが、そこからはてこでも動かない。しかたなく獲物は砂浜に置き去りにされ。一同は舟の格納作業にまわった。大人から子供までいつになく大勢の人たちが押している。マンタとは対照的に舟は枕木の上を軽々と滑っている。大物を連れて帰ると歓待されるんだな。
ふと、砂浜を見やると一人の子供が、銛の穴だらけになって息絶えたマンタを哀れみの目で眺めている。口の中を覗き込み、エラを確認し、ヒレの感触を確かめている。わかるよその気持ち。


小さな魚は、いつものように気前よく振舞われた。そしてマンタは今、男たちによって砂の上を引きずられている。何キロ位あるのだろう?引きずられた後の砂地はすっかり平らにならされている。格好の良いエイの尾が船倉の中に引きずりこまれると、すかさず漁師がナイフを取り出した。ここで僕はこの村に来て初めて撮影を断られた。「おい、撮るんじゃねえ」
ナイフがぐさりとエラの部分に突き刺さり、肉を切り分けてゆく。マンタの口からエラにかけての部分って結構スカスカなんだな。単調な解体作業だった。マグロをさばくのとはずいぶん違う。まるで大きな豆腐を切るように肉がブロックに切り分けられていく。さて、写真を撮れないのなら僕がここにいる理由はない。


僕がご近所さんの写真を撮っていると、マンタの切り身をバケツに入れた人が次々と浜から上がってくる。あんなに巨大なブロックをどうやって料理するのだろう。エイヒレは聞くがマンタを食べたって話は聞いたことがない。それにしても、夕方に出会うラマレラの人々はみな獲れたての魚をぶら下げていてとても幸せそうだ。新集落の道路で擦れちがった少女も腰からたくさんの魚をぶら下げていた。見せて欲しいとお願いすると恥ずかしそうに見せてくれた。アスファルトの上の彼女の足は裸足だった。村では裸足で歩いている人をよく見かけた。手にはスマホ、しかし足は裸足。こういうのは実に21世紀っぽい風景だ。


夕暮れの鯨浜ではいつものように子供たちのサッカーが始まった。鯨浜はラマレラ村の「広場」なんだな。宿のある集落にも新集落にもガジュマルの木が生えた広場はあったが本当の広場は鯨浜だ。まるで時間割が決まっているかのように村人が代わる代わるこの浜にやってくる。
夕方の浜は学校が終わった子供や若者たちで賑わう。小中学校は新集落にある。生徒たちは朝早くからお昼まで勉強して、各自家に帰り時間をかけて昼食をとる。午後再び学校に出かけて行き夕方遅くまで授業をする。一方、高校は集落の中にはない。高校生になると2km離れた学校まで通うのだそうだ。


宿に帰ろうとすると、一軒の家の前の道路にパイプ椅子が並べられているのが目に留まった。今晩、故人を偲ぶセレモニーがあるという。「もしかして、ママ・クララさんのですか?」と聞くと「ああ、ここが彼女の家なんだよ。人が亡くなると以後4日間は夜このような式が開かれるんだ」初七日法要のようなものかな?と勝手に解釈した。
その晩、僕はセレモニーに行ってみた。家の前の道路はすでに人でいっぱいだった。促されてパイプ椅子に座る。やがて彼女に関するスピーチがスピーカーから流れ礼拝が行われた。
礼拝が終わって席をたとうとすると人ごみから「おい、フミ。帰っちゃうの?これから食事が出るのに」えっと誰だっけな・・・?あ、鯨の工芸品の職人さんだ。しかし、ほんの数日しか滞在していない旅人の顔と名前をよく覚えてくれてるものだ。ありがたい。「ごめんなさい。夕食を済ませたばかりなんです」と答えると。「どうして、お茶だけでも頂いてゆけばいいのに」と彼は肩をすくめた。
「彼女がどんな人物かを知る絶好の機会だったのに」と僕が後悔したのは、それから数日後、レンバタ島の玄関口・レウォレバの大きな教会で再びママ・クララの葬儀に出くわした時だ。かなり有名な人なのかもしれない。



2020年8月記


今日の一枚
” 大物 ” インドネシア・レンバタ島・ラマレラ 2018年




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