magazine top










鯨の浜 その4


鯨浜に戻ろうとしたら岬の上で葬列とすれ違った。透き通ったラマレラのサンゴ礁をバックに、大人から子供まで大勢の村人たちが棺と共に行進して行く。たぶんあの教会に行くのだろう。僕は葬列の後について行くことにした。
教会で神父による礼拝が始まった。大人も子供も参列者たちが祈りを捧げている。入り口のところで見ていたら。傍にいる人に「入って座りませんか」と勧められた。インドネシアの教会は基本的にキリスト教徒以外は入れないと聞いていたけど・・・キリスト教徒でない人もそこにいることは、ぎこちない礼拝の仕草でわかった。小さな村の葬式、宗教に関係なく住民皆で故人を送るのは当たり前といえば当たり前か。


誰の葬儀なのかわからずに参列させてもらっているのも気が引けたので、遺影の中の婦人が誰なのかたずねてみた。「ママ・クララです」という答えが返ってきた。もちろん、僕は彼女がどういう人か知らないが、参列した人の数と年齢層の幅広さから村の人たちから尊敬されていた人物であることは容易に想像できた。願わくば生前のクララさんとこの村で会いたかったな。彼女の棺は教会の近くの墓地に運ばれた。再び埋葬の前の祈りが捧げられている。赤錆の浮いた家々の屋根の向こうに真っ青な海が見える。この美しい風景の中で僕の知らないクララさんの一生が終わった。


鯨浜の集落に戻ってくると平穏な日常だった。さっき教会で見かけた小学生たちが広場の片隅の木の下に集まっている。大きな布を拡げて、近所の老人にミズレンブの赤い実を落としてもらっている。目を輝かせて落ちてくる果実を待っている。それにしてもこの子達はどうしてこんなに純粋な目をしているんだろう。
宿に戻ると中庭でママが誰かと話す声が聞こえる。覗いてみると話相手は携帯のスピーカーからの声だった。ハンズフリーで話しながらせっせと草の葉を摘む作業をしていた。何の草だろう。丸くて小さな葉がついている。塩茹でしたものがご飯のおかずに出てきた。味も形も今までに食べたことのないものだった。


午後2時、そろそろ鯨漁の舟が戻ってくる時間だ。成果はいかに・・・坊主の模様・・ああ。
朝の出航のビデオを逆回しするかのように枕木が敷かれ、男たちによって舟が船倉に納められる。小さな漁舟も浜に上げられ漁師が獲ってきた魚を子供たちに振舞っていた。やはり、鯨はそう簡単に捕れるものではないのだ。浜に来て帰ってくる舟を出迎えるのはまるで宝くじの結果を見るような気分だ。明日こそ鯨を引っ張ってくる姿を拝めますように・・・
夕日に赤錆の浮いた家々の屋根が照らされる。なんと、トタン屋根の上にも鯨の干物が・・・それを回収する住人たち。学校や漁から帰ってきた人たちが憩うこの時間が大好きだ。村の人たちは素朴でフレンドリーだがその中に島人特有の頑固さみたいなものを感じる。島人?忘れていた、僕はインドネシアの孤島にいるのだった。宿に帰ると客が増えていた。鯨の工芸品目当ての貿易商だった。この村ではすべてが鯨の上に乗っかっている。


そしてその鯨は今晩、食卓のお皿の上に乗っている。好きなだけどうぞとばかりに大皿にいっぱい。干肉をサイコロ状に切って煮付けたものだ。しかし、僕はあまりガツガツ食べられなかった。鯨特有の臭みは一日中嗅ぎ続けた浜の臭いそのもので、もうそれだけで「お腹いっぱいです」という感じなのだ。
僕は子供のころ学校給食で鯨を食べた世代だ。しかし、小学生の舌には大和煮も竜田揚げも美味しいものではなかった。いつの間にか鯨の給食がなくなり、以後、僕のメニューから鯨は消えた。唯一の鯨との繋がりは軟式テニスの「鯨筋ガット」ぐらい。自分が「鯨ってこんなに美味いんだ」と再認識したのは大人になって居酒屋や鯨料理の専門店に行くようになってからだ。鯨の刺身やベーコンがこれほど美味いものだとは思わなかった。結局、料理の仕方次第なのかもしれない。
ラマレラでは鯨料理は貴重なもの、と聞いていたので、用意してくれたママには申し訳ないことをした。その代わり、出てくる魚はどれも間違いなく美味しかった。



2020年8月記


今日の一枚
” 葬列 ” インドネシア・レンバタ島・ラマレラ 2018年




fumikatz osada photographie