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鯨の浜 その3


滞在2日目。鶏の鳴き声で目が覚めた。朝食よりもまず浜に行かなければ。6時半に鯨浜の門をくぐる。「鯨浜」は僕が勝手につけた名前だ。捕鯨の基地、並ぶ鯨の肉、そして真っ白な鯨の骨。それ以上の名前はないだろう。
そうだ、まだこの村に来ることになった経緯を説明していなかった。インドネシアのフローレス島に行くことにした僕は地図を東へ辿った。ニューギニア島を断念した僕にとって、自分がまだ知らないメラネシア系の顔には東へ行った方が出会えそうな気がしたからだ。
そんな折、ある記事に目が留まった。フローレス島の東の沖に浮かぶレンバタ島にある捕鯨で生計を立てている村の話だ。その捕鯨のやり方が原始的で、まずラマファと呼ばれる銛打ちがロープのついた銛を握って体ごと鯨に突き刺しに行く。その後を他の漁師たちが追う。ハープーンガン(大砲で撃つ銛)で銛を放つ近代捕鯨が始まる前はみなこの漁法だったのかもしれない。


漁のシーズンは毎年5月から8月。シーズン開幕のフェスティバルにはインドネシア中から観光客とマスコミが集まるそうだ。その数日間がこの村が最も活気に溢れるときかもしれない。なぜなら、シーズン開幕数週間前にもかかわらず、僕は村で一人の観光客にも会わなかったからだ。
シーズン前だが実際にはぼちぼち漁が行われている。島に渡る直前に「ラマレラへ行くのかい?シーズン前にも関わらず先日4頭一気にしとめた、って新聞に出てたよ。鯨見れるといいな」と期待を持たせるような言葉をもらった。なるほど砂浜に盛大にぶら下がっている鯨肉はその産物か。この季節に浜一面の鯨肉を見れただけでもラッキーなのかも・・・待てよ、シーズン中は平均1カ月に2頭から5頭らしいから、一気に4頭捕れてしまったのはアンラッキーと言うべきか。


鯨浜にはすでに漁師が来ていて準備を始めていた。その横を犬を散歩させる人が通る。静かで穏やかな朝の海岸だ。
7時少し前、突然漁師の一人が砂浜に丸太の枕木を敷き始める。船倉から波打ち際まで等間隔で置いてゆく。いつのまにか全員集合していた船員たちが海に向かって舟を押し始める。男たちが10人がかりで押す。舟の竿掛けに横たわっているのは、昨日節をあぶっていた竹の柄のついた銛だ。波うち際にたどり着くと押し手は8人になり。さらにその中の1人は浅瀬まで押し出した後、舟を見送った。残った漁師たちが手際よく枕木を撤去する。さあ、本日の運命やいかに・・・ほっとして砂浜を散策していたらもう1艘舟が出て行った。しまった、2艘出るのか。


出漁がひと段落したのでラマレラを散歩するとしよう。村は2つの集落に別れていた。自分が滞在する鯨浜から小さな岬を回りこむと、眼下に美しい景色が広る。「新集落」とこれも勝手に呼ばせて頂こう(笑) 山の裾野にカトリック教会と家々のトタン屋根が見える。キリスト教徒が多いのはポルトガル統治下だった影響。頭にバケツを載せて給水所に向かう人にすれ違う。よく見ると家々の庭にも鯨の肉やら内臓やらがぶら下がっている。滴る油は樋をつたって集められる。燃料にするのかな。



2020年8月記


今日の一枚
” 捕鯨船の出帆 3 ” インドネシア・レンバタ島・ラマレラ 2018年




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