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鯨の浜 その2


デコボコ道の旅は3時間半続いた。突然、目の前が開けて眼下に真っ青な海が広がった。島の反対側に出たのだ。遠くの峰に高い椰子の木が3本並んで立っている。絵になるなぁ。海岸線まで下って行く途中、何ヵ所か集落を周った。迎えに出てきた家族がトラックの中を覗き込んで、もの珍しそうに僕のほうをチラチラ見ている。
やがて、トラックはラマレラ村に入る。バスターミナルで僕の手助けをしてくれたおばさんが眠る仕草をしながら何やら聞いてくる。インドネシア語はわからないが宿のことをたずねているようだ。僕がうなずくと、一緒に降りろと言う。道路から海岸の高さまで下ると彼女の家の庭先に出た。荷物を置くと僕を離れに案内してくれた。コテージ風の離れは比較的新しかったが、ところどころ床や天井板が外れていた。う~ん、どちらかというと、ホストの家族と一緒に滞在できるゲストハウスの方が安心できるんだよなぁ。ということで丁重に断った。別のところを探さなければいけない。


そこで初めて僕はラマレラ村の砂浜を目の当たりにした。草葺屋根の船倉。砂浜にはところ狭しと干し竿が並び、その竿には何やら肉の切れ端のようなものがびっしりと掛かっている。それが魚でないことは直ぐにわかる。あたり一面に動物の肉の臭いが立ちこめているからだ。その傍らにはたくさんの白骨が・・・数ヶ月海を漂流してこの浜に流れ着いたらおそらく上陸をためらうだろう。しかし、僕は知っていた。それが鯨の肉であることを。前もって資料を調べているとラマレラの鯨肉の日干しの写真は幾度となく出てきた。しかし、現実にそれを見るとやはり一瞬ぎょっとする。そのくらいショッキングな光景だった。


荷物を抱えたまま砂浜に降りてみる。ぶら下がっている肉片が鯨のどの部分なのか見当がつかない。あるものは輪切りの状態を保ち、あるものは黒く干からびている。対照的に真っ白な骨が浜の至る所にオブジェのように置かれている。怪しげに立ち込める煙をたどってゆくと漁師が竹竿を炙っていた。鯨に突き刺す銛の柄なのだそうだ。丹念に節目を焼くのは真っ直ぐにするためか、はたまた腐らないようにするためか?
砂浜では子供たちがサッカーをしている。鯨肉のぶら下がる浜辺でベコベコに凹んだボールを裸足で蹴っている。この光景もまたかなり強烈に僕の脳裏に焼きついた。おっと、早いとこゲストハウスを探さなくちゃ。


ガジュマルの木を囲む集落の広場に出ると漁師たちが談笑していた。近くにゲストハウスはないか聞くと「すぐそこの家がそうだから行ってみな」とのアドバイス。「ロスマンなんとか」と聞いたのでロスマンさん宅かと思っていたら。ロスマンはインドネシア語でゲストハウスの意でその後が宿名だった。たしか宿の女主人の名前だったような気がする(笑)そして当のマダムは非常に穏やかな女性だった。名前を覚えられなかったので以後ずっと「ママ」と呼ぶことにする。息子さんが英語が話せるのであれこれ助けてもらった。


ゲストハウスは満点に近かった。1泊3食付。えっ3食?と思うかもしれないが、村には店も食堂もないから正解だった。すでに嫁いだ娘さんが使っていた2段ベッドの部屋がそのまま客室になり、僕にあてがわれた。山積みにされた宿題のノートと「I LOVE KITTY!」と書かれた猫の写真のコラージュ、子供部屋のままでなんだか妙に落ち着く。ママの母屋がゲストハウスになっており、同じ敷地内に息子さんの家族やママの兄弟などファミリーの別棟があった。家族がみな傍にいる安心感、やはりコテージに泊まるのとはちがう。質素なキッチンのテーブルの上には1日3回食事が用意された。
昼の間は電気は使えず、シャワーもインドネシア風の簡易水浴び(マンディ)方式。だが全く問題ない。なによりも、波の音と家畜の声以外聞こえない静かな夜がこのゲストハウスの一番の贅沢だった。何しろインドネシアに来てから、バイクの音やカラオケを子守唄代わりに眠る日が続いたから。
鯨漁について聞いたら、毎朝7時ごろに舟が出て、午後2時に浜に戻ってくるらしい。明日は早起きしなければいけない。



2020年7月記


今日の一枚
” 干し竿に架けられた鯨 ” インドネシア・レンバタ島・ラマレラ 2018年




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