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サモア人はなぜ土地に執着するのか


サモアの家々には手入れの行き届いた庭がある。芝生が敷かれ美しい熱帯の植物が植えられている。住居はたいてい庭の奥まったところにあるから、住人の写真を撮らせてもらうのは大変だ。道路から遥か彼方の母屋に手を振る。はたして住人はこちらを見てくれているのだろうか?遠過ぎてわからない。
仕方なく敷地に足を踏み入れ芝生を横切ろうものなら、すかさず大きな番犬が飛んで来てけたたましく吠える。踵を返してそぉ~っと撤退。犬はどこの家でも飼われている。体は大きく大概は雑種だ。捨てられた番犬はやがて野良犬化する。僕はサモアにいるあいだ常に犬の恐怖におびえていた。


サモア人の生活で面白いと思ったのは、治安も良く家屋は明け透けなのに、自分の家の敷地だけはきちっと主張するところだ。沖縄の家は石垣で道路と隔てられていた。それに対し、ここでは芝生の上にポツンポツンと石が並べられているだけ。それが私有地の主張だ。簡単な置石は石垣よりもなぜか排他的な感じがする。しかもその中には例の番犬たちがいるのだ。


サモア人のこの「縄張り意識」というのはいったい何に起因するのだろうか?例えばビーチ。僕が知っているインドネシアの島々ではビーチは公のものでだいたい無料で利用できた。しかし、サモアではビーチはだれかの所有物でお金を払わなければならない。それはホテルであったり村営であったりする。いや、ここは曲がりなりにも南太平洋のリゾートだ。有料のビーチは当然かもしれない。しかし、岩場の浸食でポッカリと空いた天然のプールですら私営で営業時間と定休日があるという徹底っぷりは凄い。


サモア人は借りたものを返さない、という話も聞いたことがある。借りたものは皆んなのものであるという都合の良い解釈に変換されるからだとのこと。それだけ開放的な国民性なのにこと土地に関しては見事に執着しつくすところがなんとも興味深い。各村には首長がおり古来からの典型的な村社会が成り立っている。いったい開放的なのか?閉鎖的なのか?これはサモアという国の歴史や風土をもう少し勉強しないとわからないのかも。その理由がわかった時にここに追記したいと思う。


余談だが、バンガローを借りたら番犬が付属してきた。僕は思いがけずサモアで番犬の主となった。ところが餌を与えてしまったために、僕の犬はすっかり働かなくなってしまった。テラスで腹を出して昼寝する始末。
他方、僕が写真を撮らせてもらったマダムの犬は主に忠誠を誓っていた。犬は外出するマダムが自宅の庭を横切る間ずっと並走し、敷地を出るところでじっと彼女を見送っていた。



2020年1月記


今日の一枚
” ポートレイト ” サモア・アピア 2019年

ポリネシア その2




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