magazine top










インチョン温泉


10年ほど前、僕はソウルのインチョン空港を旅の起点にしていたことがある。理由は単純で成田より便利な便が多く航空券も格安だからだ。しかし、安上がりに海外に行くにはそれなりの不便を伴うもの。それはたいてい長い乗り継ぎ時間であったり空港泊であったりする。
その日も僕は空港ターミナルで時間を持て余していた。ふと空港内の地図を見るとシャワーのマークが目に留まる。暑い季節だったので長い旅の前にシャワーを浴びたかった。地下1階に降り地図に従って進む。だんだんテナントが少なくなり、半ば諦めかけたころ地味な看板が目に入る。何の飾りもない入り口には番台のようにおばさんが座り「シャワー?お風呂?入っていって」と声をかけられた。ものすごく不安だったが入ってみることにした。3時間の休息で1300円位だったと思う。


値段といい店構えといい僕は全く期待していなかった。せいぜい簡素なシャワールームと小さな休憩室ぐらいだろうとたかをくくっていた。しかし意外にもお風呂は銭湯のように広かった。洗い場も日本のような感じ。これまた意外にもおしゃれな休息室は冷房でキンキンに冷やされ、冷たいもの片手にソファーに横になって「ああ、極楽極楽」おまけに空いているガラガラ。これは絶対に人には教えないでおこう。僕だけの秘湯、インチョン温泉。(名前は僕が勝手につけたものです)


その後、立ち寄る機会がなくなったが、先日、ソウルでの空港泊を余儀なくされネットで下調べをした。休息施設「スパ・オン・エアー?」場所から察するにこれはインチョン温泉では?しかし、こんなお洒落な名前だったかな?説明によれば同店は空港の改装に伴い一度閉店したが「スパ・オン・エアー」としてリニューアルされたとのこと。なるほど。現在は知名度が上がり早めに入らないと休息室が満員になってしまうらしい。うーむ、にわかに信じがたい。


さて、真夜中にソウルに着いた僕は、翌朝のフライトに備えるべくスパ・オン・エアーに向かった。見覚えのある地下通路を歩いて行くと前方になにやら行列が・・・ 聞いてみると順番待ちの列とのこと。すでに満員で中から人が出てくると入れ替わりで数名が中に入るらしい。しかし、夜中の12時過ぎに仮眠施設から出てくる人はいるのだろうか? そう思いつつ列に加わると、なるほど時々人が出てくる。
思っていたより早く入れた。受付は昔の番台とは全然違う。モダンに作られ若い店員が数人で受付を行っていた。そうだ、ここは曲がりなりにもスパなのだ。と思って値段を聞くと7時間で1500円。1時間ごとに細かく設定されお風呂だけの3時間コースは600円だった。値段は昔よりむしろ安くなってる。


中に入ると広々としたお風呂はコンパクトな円形ジャグジー3つに改装され。その傍らには個室になったシャワールームが並ぶ。東アジアの銭湯っぽいものが西洋風になりその分スケールダウンした感じだ。どちらかというと以前のガラガラで広々した空間の方がスパっぽい雰囲気を醸し出していたような気がする。風呂場の片隅では従業員のおじさんが客の有無に関係なくトンカントンカンと水道管やタイルの修繕をしている。こういうところは昔と変わっていない。ちなみにこれは男湯の話で女湯はもしかしたらサウナなのかもしれない。
風呂から上がり休息室(仮眠室)に入った。暗いカーペットの部屋にはマットやリクライニングチェアが隙間なく並べられ、その上では無数の老若男女が寝息を立てていた。さて、僕は明日7時に起きられるのだろうか?(笑)


こうした仮眠施設を韓国ではチムジルバンと呼ぶのだそうだ。さしずめ日本ならカプセルホテルより更に安いサウナやスーパー銭湯か。そしてインチョン空港のすごいところはこうした設備が空港らしからぬ低料金で提供されているところだ。24時間営業の店もフロアにいくつかあるし、無料で1泊したいなら横になれるベンチは無数にある。深夜でも行動範囲は制限されない。閉店したカフェの椅子でも眠れる。インチョンはアジアの巨大ハブ空港としての設備とおおらかさを持ち合わせている。この点、中国のハブ空港の旅客設備はインチョンの足元にも及ばないし、成田はもはやハブ空港ですらない。


2019年10月記


今日の一枚
” インチョン空港でのスナップ ” 韓国・インチョン 2019年




fumikatz osada photographie