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なぜ走る


新年早々、プールの消毒層への階段で滑って転んで鞭打ちになった。さらに後ろ手を付いた衝撃で五十肩が悪化した。とりあえず水泳はできるのだが、クロールで息継ぎをした後の顎の噛みあわせがおかしい。微妙な変化なのだが気になる。気にしてたらタイムが落ちた。1つの部品が壊れるとそれをかばう為に他のところにも負担がかかって連鎖的に故障していく。初っ端から年寄りの世間話のようになってしまった。


何気なく行う日常行動の中にこそ危険は待ち構えているものなのかもしれない。昨年の冬、北海道で散々雪道の上を歩いたけれど、用心していたためか一度も転ぶことはなかったのだから。
北海道で驚いたのは雪道を走る人が多いこと。雪解けされた狭い歩道を歩いていると後ろから「はぁはぁはぁ」という息遣いがものすごい勢いで迫ってくる。はっとして避けると、若いお兄さんが全速力で駆け抜けてゆく。かなり急いでる様子。「さすが北海道民、足元の悪さなんてものともしないんだな」と・・・・ズルッ・・・お兄さん、こけた。
そのころ、札幌駅ビルの入り口では走って来たスーツ姿のサラリーマンが盛大にすっころぶ「うおぁああ」
雪のないところの人間は「なぜ雪の上を走る?」と思ってしまう。それは雪は僕らにとって非日常の緊急事態だからである。しかし、北海道の人にとっては雪があるのが日常。日常には走らなければいけない場面もあります、たしかに。


今年の北海道は豪雪らしい。対して昨年は暖冬だった。滞在して身を通して学んだのは昼間に融けた雪が再び凍り、その上に新雪がうっすらと積もったりした状態が一番滑るということ。
もうひとつ、これは帰ってきてから聞かされたのだが、北海道では毎シーズン雪道で転んでたくさんの人が救急搬送されるのだそうだ。雪国での生活に王道というのはないんだな。
滑って転んで首を痛め、五十肩が悪化し、噛みあわせをおかしくし、その後の生活のリズムを崩さないためにも、今上げているその右足を用心深く地面に降ろしましょうね。



2017年1月記



今日の一枚
” 祝津港・午後4時半 ” 日本・北海道 2016年




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