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カメラ産業の行く末を案ず


サイトはなんと10年目に突入した。そこで今回は「カメラ産業」について。


最近見た「カメラの出荷台数の推移(2003-2016上期)」というグラフに僕はいささかショックを受けた。コンパクトデジカメとレンズ交換式デジタル一眼カメラの合計出荷台数は2010年を頂点に減少の一途を辿り、今や当時の5分の1になっている。カメラ愛好家たちは新製品を熱く語り、メディアもまた宣伝に余念がないけれど、どうやらそれはとんでもなく小さくなった市場の中での話らしい。


しかし、カメラ産業の不振が即「写真の衰退」を意味するわけではない。なぜなら、みなスマホやプリクラで写真を撮っているのだから・・・スマホはおろかガラケーさえなかった時代にあなたは年に何枚写真を撮っていましたか?今の方がたくさん撮っていませんか?撮った写真をアプリで修整してSNSに載せたり、メールに添付したり、ブログにアップしたり。過去にも増して写真を扱うことになっていませんか?フィルムカメラ時代には写真の行き着く先は選ばれた数枚を写真立てかアルバムに貼り付けるぐらいしかなかった(笑)


世の大部分の人にとっては、旧態然としたカメラ業界の衰退なんて多分どうでも良いことなのだ。1台30万円もするカメラを買うカメラ愛好家の金銭感覚なんて全く理解できない。でも、趣味に没頭するというのはそういうこと。誰からも責められる筋合いはない。しかし、カメラメーカーは「木を見て森を見ず」になってはいけない。
愛好家の声に耳を傾けすぎて似たような高額カメラを作り続けていても、肝心の愛好家の人口はどんどん減少していく。数が売れないからカメラの単価はますます高くなる。実際、その傾向が顕著に見え始め新製品は軒並み値上げされている。値段が上がればカメラを諦める人も出てくる。更に出荷台数は減る。これを分析した業界は「スマホによるカメラ離れ」なんて結論をだす。しかし、写真の需要は依然としてそこにあるのにカメラだけが売れなくなったのは他に原因があるのかも。


「機材の単価」が上がる一方で僕が気になるのは「写真の単価」が下がっている点だ。ネットやスマホの発達で世の中にはとんでもない数の写真が溢れるようになった。素人でも簡単に自分の写真をネットに載せられる。安い金額で請け負ってくれるカメラマンもいる。失敗なく撮れるカメラの発達で誰でも見栄えのする写真を撮れる時代になったと思いがちだけど、実は膨大な数の小カットの需要と制作コスト削減のために写真の質に対するハードルを下げているだけなのかもしれない。写真を世に出すことは簡単だけど、写真で食べて行くのは難しい時代。世に出すことが容易に成りすぎただけに余計その落差が目立つ。


そんなご時勢でも、カメラメーカーは相変わらず「プロ機」と称して高いカメラをラインナップしている。彼らはどういった「プロ像」を描いて商品を企画しているのだろうか。ベンツのステーションワゴンに乗る写真家だろうか(笑)昭和か。
会社から機材を支給されるカメラマンならともかく、個人事業主ならまずコストを考える。業務用機材は故障が少なく、シンプルかつ確実、コストパフォーマンスが良いこと、そして僕ならコンパクトであることも重要。タクシーの運転手がなぜロールス・ロイスを使わないのかといえば採算が合わないからだ。となれば「プロ機」と言うのはカメラマニアに対するひとつのブランドアピールなのかな。
ちなみに僕の今の主要機材は小さなセンサーのミラーレスカメラ。メーカー曰く「家族撮りのパパママカメラ」「入門機」なんだそうな。メーカー自ら購買層を限定してしまうはどうかと思うが、カメラ自体には非常に満足している。どんなカメラで撮っても自分の写真は変わらないものだとつくづく思う。


とはいえ、もしカメラを作ってくれるメーカーがなくなってしまったら僕の生活はどうなってしまうのだろう?まるで糸の切れた凧みたいにフラフラと飛んでいってしまうかも・・・ああ、あまり考えたくない未来だ。



2016年11月記



今日の一枚
” 天安門の記念写真師 ” 中国・北京 2008年




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