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名前を知らない花


昨日は晴れたけど風が強かった。今日は朝から曇り空でついに雨が降り出した。遠足の中学生たちがクラセ商店に駆け込みレインコートを買っている。僕もカフェでしばしの雨宿り。カフェテラスから見える緑はしっとりと濡れていて、隣のみやげ物屋の店内には手持ち無沙汰にしている女主人の姿が見える。
雨が小休止すると自転車にまたがる。また本降りになるかもしれないのであまり遠くへはいけないな。島を巡るサイクリングも3周目に突入、そろそろネタもなくなってきた(笑)そんな折民家の庭先から軽快な歌声とアコーディオンの音色が聞こえて来た。おや、と思い覗いてみると庭先でキフヌの衣装に身を包んだ女性たちが歌い踊っている。その周りで拍手をする客たち。「おお、これは冠婚葬祭の行事かもしれない」平凡な一日にアクセントが加わった。カメラをぶら下げて客たちの後ろで見ていると。歌っている女性たちが「前に来て見てください」と手招きをする。最前列の席を空けてもらってそこに座った。僕の知らない言葉で前口上が始まり、再び歌と踊りが始まった。すぐ隣ではキフヌの糸をつむぐ女性。特等席で写真を撮らせてもらう。撮っていてはたと気づいた。雨合羽を着て見ている客たちがなんとなく観光客っぽいのである。親戚、縁者にはどうしても見えない。
そこで、隣の客に聞いてみる。「あの~もしかして観光客ですか?」「ええ、フィンランドから来ました」ああ、やはり観光イベントだ。再びトークが入る。女性がおそらくフィンランド語で何かじゃべる、客たちがこっちを見てどっと笑う。「今日は思いがけずアジアからのお客さんも加わっていただいて」なんて言ったのかもな(笑)やがて、アコーディオンの演奏と歌声に合わせて観光客が踊り始めた。フィンランドの踊りか、エストニアの踊りか・・・話を聞いてみるとお隣同士の両国は言葉も近いし文化的にも近いのだそうだ。俄然、皆で盛り上がり始めたのでそろそろ僕はお暇したほうが良いかもしれない。観光イベントだったけど、みんな楽しそうだから良しとしよう。



僅か3日間という短いキフヌの滞在が終わる。港で自転車を返して海を見やると島に向かってくるフェリーの影が。僕は折り返しの便に乗る。埠頭の先にワインレッドの帽子にストライプのスカートというキフヌの正装をしたマダムが立っている。来るときフェリーのデッキから見た姿だ。彼女はこれからやってくる新しい観光客のガイドをする。観光用トラックの運転手と入念な打ち合わせ。彼女が僕に気づき話かけてきた「ああ、今日帰るの?」たぶんどこかで会っているはずだけど、サングラスをかけているので思い出せない。うーん、自転車ですれ違ったか、昨日のイベントの司会者か・・・思い出せないながらも「はい」と僕。
彼女は手に持った花と「エストニアの草花」という本を指差してこう続けた。「この図鑑に載っていない花を見つけたのよ。灯台のたもとにいる××さんに聞いてみましょう。会ったでしょ?灯台で。彼はこの島のことなら何でも知っているの」うへぇ、あの素足に半ズボン姿の怪しい男が・・・人は見かけによらない。大体この小さな島に観光客をカモにする詐欺師がいれば瞬く間にウワサになるよ(笑)一緒に灯台に上っていれば溢れんばかりの島の情報を得られたかもしれない。それにしても、まるでロールプレイングゲームの世界だな。「情報を得たければ灯台の下にいる男に聞け!」ゲームならボタン操作で主人公を操れるが。ここの場合は、自転車で舗装道路の終点まで行き、原生林の小道を抜け、砂利道を延々と6km走らなければならない。
マダムに写真を撮らせて欲しいとお願いしたら。「手が汚いから撮らないでね」と但し置きされた。「いやいや美しい手ですよ」と僕。眉間の皺はそれに対する反応、おそらく照れ隠しだ。写真を撮るときのこういうやりとりが僕は好きだ。つくづくポートレイトは会話の産物なのだと実感する。
撮り終わると既に着岸しているフェリーのゲートが開くのを彼女は運転手と共にじっと見守った。



2016年7月記



今日の一枚
” 彼女の持ち場 ” エストニア・キフヌ島 2016年




fumikatz osada photographie