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クマちゃん その2


バングラデシュでは他にもたくさんの日本経験者と会った。履物屋の店主は群馬県大泉町や静岡県浜松市などに住んでいたそうだ。地名から察すると自動車関係だろうか。
「ご主人はどうして日本を離れたんですか?不景気で仕事がなくなったんですか?」と僕がずっと疑問に思ってた点を聞いてみる。「違うよ、仕事はたくさんあったよ。帰らないでくれと職場からも散々ひきとめられたんだ。でも、バングラデシュに残した家族が帰って来てくれって」とご主人。
そして履物屋の店主になり、今は若い従業員から「ボス、ボス」と慕われている。「おおっ、ボスが日本語話してるぞ。ボスと一緒に一枚写真撮ってくれよ」と入れ替わり立ち代りの撮影会になった。


90年代に日本に出稼ぎに来ていたバングラデシュ人たちは母国に戻り人の上に立つ年齢になっている。ちょっとだけ残念だったのは、彼らの日本での経験があまり若者たちの世代には語り継がれていないところ。それは心の中にそっと仕舞っておく遠い異国の思い出なんだろうか。一方、若い人たちは驚くほど日本のことを知らない。これは僕たちがバングラデシュのことをほとんど知らないのと同じかもしれない。
それでは、バングラデシュから日本への労働者の流れが途絶えてしまったのか?というとそうでもないようだ。帰りの飛行機では母国に一時帰国し、日本に戻るバングラデシュ人たちの姿を見かけた。その中の一人は自動車工場の溶接工をやってると話した。「日本は不景気だからねえ。何でもやらないとね」と流暢な日本語で現実的な視点を語った。バングラデシュ人は本当に真面目で勤勉だ。


こうしてみると、日本の経済ってのは外国人労働者にずいぶん助けられてきたんだなぁ。日本では今、少子高齢化による労働力不足を補う為に移民を受け入れようと話が持ち上がっている。(この話「移民」と「労働者の受入れ」をごちゃまぜにしているように感じるのだけれど...)例えば介護医療の現場にこのくらい外国人を入れようとか、人が集まらないから必要条件の日本語レベルを引き下げようとか、政府の立場から好き勝手な計画を立てているけれど、雇用される側の立場は全く考えていない。雇用される外国人から見れば、自分と家族の生活がかかっているわけで、日本の非正規社員のような先行き不安定な契約に果たして合意できるだろうか?必要な分野に必要な数を必要な期間だけ補充、選挙権も与えないという態度は余りにも外国人をバカにしている。
さきほどバングラデシュの若者は日本を知らないと述べた。それでは、かの国のビジネスマンたちが外国とかかわらずに生活しているかというとそんなことはなくて、中国や韓国、シンガポール、マレーシア、インド、スリランカ、インドネシア・・・といった名前が彼らの口からまず先に出て来る時代だということを特筆しておこう。今や日本は「One of them」なのだ。


ある日職場に一身上の理由でバングラデシュ人が入ってきて、ある日一身上の理由で去ってゆく。隣の部屋にバングラデシュ人が住みパーティーを開き時々お呼ばれに預かる。1990年代の日本というのは今よりずっと緩くてインターナショナルな雰囲気に包まれていたのかもしれない。



2015年3月記



今日の一枚
” ポートレイト ” バングラデシュ・ラッシャイ 2015年




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