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ノースタンプ・プリーズ


「パスポートに入国スタンプを押されたくなければ、両手を合わせてとにかくお願いすることだ。こう言いながら。プリーズ、ノースタンプ・プリーズ」
ヨルダンからイスラエルに入るときに僕はそうアドバイスを受けた。パスポートにイスラエルのスタンプがあると今後いくつかのイスラム教国に入国できなくなるそうで、「それはまずい」という人はパスポートとは別の紙切れに出入国のスタンプを押してもらうように頼み込むというわけだ。
この時、僕はかなり楽観的に構えていた。真剣にお願いすればきちんと別紙に押してもらえるだろう、と。


ヨルダン・イスラエル国境のアレンビー橋(キングフセイン橋)ポストで僕は入国審査の列に並んだ。
中年の男性入国審査官に笑顔なし、なんだか全くことがうまく運びそうな気がしない。まるで面接試験で空まわりしている時のように会話のやり取りに手ごたえがないのだ。滞在日程等を聞かれ、パスポートのページを細かくチェックされる。


会話が途切れ質問終了・・・したの?しないの?今だ!あのセリフ。
「あのぅ、ノ、ノースタンプ・プリー・・・・あれ?ちょちょっと」
手を合わせようとする僕の目の前で彼は無情にも席を立ちパスポートを持ってどこかへ消えてしまった。
僕は呆然とその場に立ち尽くす。やがて審査官が手ぶらで席に戻ってくる。待っている僕を見て「何をそんなところでつっ立ってるんだ?」とたずねる。彼はホールの彼方を指差して「あっちの方で待ってろ」という。


果たして僕は入国を許されたんだろうか?それとも別室に行けと言われてるのだろうか?とにかく言われたとおり「あっちの方」へ行ってみたのだが、空のブースがあるだけでそこには誰もいない。ふと、建物の別の隅を見やるとベンチに腰掛けている一団が見えた。彼らは係員に呼ばれてひとりずつ何かを受け取っている。どうやらパスポートを返されているようだ。「なるほどあそこで待てばいいのだな」とそこに行って僕はベンチに座る。


待つこと30分、入国審査官のところで一発OKとなった人たちはとっくの昔に国境を越えている。これはもしかして入国拒否か?と不安になったころ自分の名前が呼ばれた。女性の係員がパスポートの束の中の1冊を僕に手渡す。どうやら許可が下りたようだ。よかった。
当然、スタンプは別紙に・・・ああ、どうもありがとうございます。押されてますよコレ、はっきりクッキリ・・・本頁に。この瞬間、僕の世界地図からパキスタン、イランなどの国々が消えた。


入国はできたものの、少なからず僕にはショックだった。しかし、よく考えてみると。あの入国審査官はいわばスタンプを押す為にあそに一日中座っているのだ。スタンプを押して給料を貰い、家族を養っている。いつ捨てられてしまうかもしれない別の紙切れに入国スタンプを押せというのはずいぶん失礼な話ではないか。自分がもし彼の立場だったら全体重をかけて本頁に捺印するだろう。


そうなると、むしろイスラエルに行ったことのある旅行者だから入国を許可しないという理屈の方がなんとなくおかしいように思えてくる。少なくとも僕が訪れたのはヨルダン川西岸のパレスチナ自治区だったわけだし、そこに行くにはイスラエルの入国審査を通らなければならないのだから。
おそらく多くの旅行者は、イスラエルと、それと対立する国々のどちらを支持するなどという深い考えは毛頭なく。第三者として純粋にどちら側の文化にも接したいという好奇心しかもたないであろう。


ひとつの対立がなくなるとまた新しい火種ができる。そんな世界情勢の中で新しい年が平和に向かって一歩でも前進できる年でありますように。また、自由に人々が行き交える場所がこの地球上にひとつでも増えますように。


2013年1月記



今日の一枚
” ヨルダン川へ ” イスラエル 2010年


ゴミ山を漁る




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