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ゴミ山を漁る


3年前、僕はヨルダンのアンマンからエジプトのカイロに行く飛行機でパレスチナ人の男性と隣合わせた。リビアに職業実習に行くのだそうだ。眼下にはスエズ運河の水面が輝き、それを眺めながら彼が期待と不安の表情を浮かべ ていたのを今でも覚えている。アンマンではカイロの仏企業で働くフランス人の若者と話した。そうそう、シリアで遺跡の発掘調査をする日本人の青年とも出会ったな。シリアといえばウクライナの医大のキャンパスでシリアからの留学生とも話したのは4年前だ。言葉を交わすと彼らの祖国や生活の場に興味が湧いてくる。行ってみたくなる。でもまあ、急がなくても思い立てばいつでも行けるか。


ところが、あれからまだ何年も経っていないのにそれらの国々で政変や内戦が起こった。彼らがどうしているのか気がかりな反面、これらの国々に行きにくくなってしまったという事実に旅人として少なからずショックを受ける。そして僕は悟った「世界地図は生モノだ」と。もし、本当に行きたい場所があるならば、行ける時に行っておいたほうが良い。
しかし、困ったことに行かなければならない場所が次々と頭に浮かんでくる。イランもそのひとつだった。よしっ、イランに行こう!でも待てよ。自分はイスラエルのスタンプ持ちだ。そのスタンプがあるとイランには入国できないそうじゃないか。
そこで自分なりに調べる。大使館のホームページ、記述なし。外務省のサイト、イランの項目に記述なし。出てくるのはブログの噂ばかり。最終的に「ある国のスタンプがパスポートに押してあるからといって入国拒否などあろうはずがない」という独断によって僕はイラン行きを決めた。


ところがフライト当日、航空会社のカウンターに行くと係員に「あのぅ、お客様イスラエルのスタンプがありますと最悪ご搭乗いただけません」と言われる。「はあ、一応スタンプの件は知っていて自分でいろいろ調べてみたのですが大丈夫そうなので・・・」「お客様は良くても、入国拒否になった場合当航空会社にも制裁金が課されるのでダメなんですよ」「えええ、そんな・・・」
チェックインカウンターの前からはじかれ、地上係員をたらい回しにされるうちに話は完全に裏ギアに入ってしまった。現地で入国拒否になったときの航空会社の損害、僕自身への罰金の可能性、強制送還時の身柄の拘束、ありとあらゆる最悪の事態が説明された。なんとなく「行かないほうが懸命」という方向への一種の誘導尋問のようなやり取りの中で、かつてどこかの国で強制送還をくらったときの苦い思い出がよみがえる。あの、帰国便の中での絶望感。結局、僕は成田空港でイラン行きを断念させられたのであった。


それから数ヵ月後、僕は再度のチャレンジで無事イランへ行って来た。前回予定していたよりかなり日程は短縮されたけれど・・・
以前は繋がらなかった東京の大使館に電話が通じ、イスラエルのスタンプの件を確認したところ「大丈夫だ」という返事をもらった。それを信じて(よりによって前回と同じ航空会社で)航空券を購入。チェックインカウンターで同じ質問をされる。無視無視、今回は終始しらばっくれてそのまま搭乗。あのときの地上係員とエプロンに向かう移動通路ですれ違った。「お仕事ご苦労様っす」小声でつぶやき搭乗券で顔を隠し、中腰になりベルトの陰へ・・・こそこそと僕はいったい何をやっているんだろうか?
しかし、テヘランの空港でのビザ発給は極めてスムーズ。入国審査や州境の検問で僕のパスポートの頁はパラパラとめくられ、そのたびにサッカーで相手のボールが何度もゴール前を横切るような不安に襲われたが、結局、何の問題もなかった。


さて、この一件を通して僕はインターネット社会というものについて考えさせられた。まず一番困ったのがイスラエルのスタンプの件を検索しているときに出てくる膨大なゴミ情報だ。本人が体験したわけでもないこと、受け売り情報をを周知の事実のごとく断定している口コミである。90%ぐらいがこの類であった。自分もこういう不確かな情報をできるだけ当サイトに書き込まないように注意してきたつもりだ。例えばイスラエルの入国スタンプに関しては「だそうだ」という言葉でぼかした。しかし、実際に正しい情報を検索する立場になると、この「だそうだ」情報でさえものすごく邪魔だ。あらためて反省。
この「らしい」情報が9%だとして、およそ99%が何の根拠も無いウワサ。そんな中、実体験に基づく1%の書き込みを探すのにどれだけ苦労したことか。


「インターネット時代」はどんな情報も手に入り便利になってると思いきや、実は些細な真実を見つけるのにも時間と労力を費やす非常に不便な時代なのかも。大きなゴミ山を漁ってる自分の姿を思い浮かべて思わず苦笑い。
それじゃあ、ひとつのソースから一元的にに発せられる公式見解を昔のように何でも鵜呑みにしてりゃいいじゃないかって?うん、そのほうが確かに楽だ。でもそれはそれで何だか危険な感じがするね。騙されていても気づかないもの。結局、僕たちはゴミ山を漁るテクニックを磨くしかないのかな。


2014年3月記



今日の一枚
” イスラエルの隔離壁 ” ヨルダン川西岸・パレスチナ自治区 2010年




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