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ウェルカム・トゥ・ジョルダン その2


日本の英語教育の問題点は学校や入試での英語のゴールが、言語としての英語本来のゴールと別のところにある点だろう。生徒たちは2つの英語を勉強しなければならない。これは大きな負担だ。結局、どちらかを優先させなくてはならなくなる。となると、まず自分の進路を大きく左右する試験のための英語を優先するのは当然。


ここで言う試験英語とは、前置詞の穴埋めとか、英文和訳とか、要点の選択とか、ただひとつの答えを出す英語。それは英語という道具の中の部品一点一点が規格に合ったものかどうかを調べているようなものだ。さらに、見てくれがよいかどうか(ネイティブに近い発音)であるかをチェックしている。
けれども、英語がコミュニケーションの道具であるならば、試験で評価されるべきはその道具をいかに使いこなしているか、ではないだろうか。ネジが短かったり長かったり、規格と違っていたり、形も不恰好、それでもそれを最大限に使いこなしている人もいれば、美しい形と規格に合った部品を使った優れた道具を持っていながら使いこなせない人もいる。


このいわば二刀流の英語学習をあるべき一刀流にするのは実に簡単だ。学校の定期試験や入試といった英語学習のゴールを「道具をいかに使いこなしているか」を見る形に変えればよい。具体的には、論述やインタビュー、討論、文章を読んでの感想などだ。
これは採点する側にも能力を要求する。したがって、入試など膨大な受験生の採点を行うのはかなりの人員と労力が必要だ。しかし、それでも変えなければいけない。もしそれができないのであれば英語は潔く入試科目からを外したほうがいい。言語の学習とはもっとおおらかであるべきだ。つまらない受験英語に振り回されるぐらいなら、もっと日本語の読む・書く・聞く・話すを学んだ方がいい。母国語は言語学習の基本だと思う。


誤解のないように。僕は中学や高校での現在の英語の授業を否定しているわけではない。それはそれで結構。ただ、3日間組み立てをやったら4日目には実践を行う。道具を使ってみる。おそらくそれによって覚えるべき単語の優先順位も大きく変わってくるのではないだろうか。そうすると学生たちは徐々に自分の英語が使えるものになってゆくことを実感するはずだ。己の力量もわきまえることができる。
最後の最後まで機械を組み立て続ける英語学習は苦痛以外の何ものでもない。実践を行う前に嫌になり、教室のあちらこちらに作りかけの機械が転がってるということになりかねない。繰り返しになるが、語学で重要なのはパーフェクトでなくてもいいからその時点で持てるものをいかに使いこなしているかである。
英語検定試験に公費を費やすくらいなら、教室にブロードバンドでも引いたほうがいい。Skypeを使えば海外の友人たちと討論もできるし、メールを使えばクラス皆で文通もできる。このインターネットの時代、安上がりで効果的な授業方法はいくらでもある。


言葉本来の意味と反復練習によるステップアップのコツを非常に短時間に体験する方法。それは、海外に一人旅に出てみることだ。だから本当は小学校1年生で海外に一人旅をしてそれを悟るのがいい。けれどもそれは現実的でない(笑)結局、現在の学生たちは卒業旅行で海外に行って初めて「言語とは何なのか」を知る。ところが皮肉なことに彼らはついさっき学校の英語の勉強を終えたばかりなのだ。


日本の学校教育はいつもこうだ、就職も英語もいままでやってきたことをチャラにして全く別の流れに飛び移らなければならない。学校の教育とは本来、一本道で社会につながる助走路でなければならない。

2012年2月記



今日の一枚
” ポートレイト ” ヨルダン・アンマン 2010年




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