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イタリア人の食卓


「日本人だからご飯食べるでしょ?」とリゾットを作ってもらった。シチリアきっての保養地だけれども、冬のタオルミナは観光客も少なくて宿の客は僕ひとり。よって、こうして夕食をごちそうしてもらえることになった。宿を経営するのはカルメーラとプリシラの姉妹。(このふたり、うら若き「現役代表イタリア美人」でないが「元イタリア代表」としておこう)このペンシオーネは冬の間姉妹が切り盛りし、夏休みには州都のパレルモから休暇を兼ねて子供夫婦が宿の仕事にやってくる。入れ替わりにカルメーラとプリシラはパレルモの家へ戻る。そういうローテーションになっているらしい。


イタリア人がファミリーを大事にするというのは本当のようだ。結婚しても親子、兄弟、みな緊密な関係を保っている。子供たちとすれ違いのカルメーラでさえ連絡だけは頻繁に取り合っていたようだし、そもそも親子の連係プレーがないと共同で宿なんて経営できないであろう。
顕著な例では同じアパートに親戚中が住んでいるというのがあった。彼らは一族の長(おじいさん)の所に毎晩集まり、長い時間をかけてマンマ(おばあさん)の手料理を食べながら家族の団らんの時を過ごすのであった。成人して家庭を持った立派な大人が、それでも一族の長にだけは頭が上がらないという光景はなんとなく微笑ましかった。実にイタリア的な光景だ。


さて、カルメーラのリゾットは僕が想像していた「イタ飯」とは違って「素朴なお粥」だった。夕日の差し込むダイニング。「日本のオペラ『マダムバタフライ』を観たわよ」食事をしながらカルメーラとプリシラが話す。「あ、それ『蝶々夫人』のことだ。でも、僕は『蝶々夫人』のストーリーを知らない。僕の知っている夫人といえば『デビ』か『エマニエル』だ」そういった自分の無知のおかげでちょっと恥ずかしい思いはしたが、三人でおしゃべりをしながら食べる夕食の味は何物にも代え難い。

そう考えて行くと、なんだかイタリアのファミリーというのは「みんなでおいしくご飯を食べるために存在する」とさえ思えてくるのであった。


2007年5月記



今日の一枚
”ポートレイト ” イタリア・シチリア島・タオルミナ 1994年




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