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大滝秀治


人間誰しも「好き嫌い」はある。例えば僕が旅した国の中にも「好きになれなかった場所」は存在する。そもそも好き嫌いなんてたいてい些細なことに起因しているものだ。だから、たった一つのトラブルでその国が嫌いになってしまうこともある。しかし、僕がここで嫌いな国とその理由を書き連ねたとしても誰の得にもならないだろう。それなら書くのはやめよう(笑)


さて、好き嫌いとは別に、訪れたのにもかかわらず非常に印象の薄い旅先もある。それらの国もしくは場所に共通することを僕は発見した。それは「滞在中天気が悪かった」ということだ。やはり写真には太陽の光は必要不可欠なのだ。雨が多い、昼が短いといった場所ではシャッターを押す回数が減る。ファインダーを覗かないということは記憶にも焼きつかない。どうやらカメラと僕の記憶は連動しているらしい。それでは具体的な地名を挙げればどこかというと、例えばポルトガルがそうだ。ものすごく印象が薄い(笑)そして、冬のポルトガルはあきれるほど天気が悪かった。


その冬、僕はスペインのガリシア地方からポルトガルを目指した。スペイン国鉄の列車に乗り国境の手前で降りた。そこでポルト行きに乗り換えなくてはならない。たしか「レドンデーラ」という名の駅だった。列車が来るまでにかなり時間があったので駅のバルで時間をつぶした。僕がホームに戻るとすでに大勢の乗客たちが列車を待っていた。隣にいる老人にポルトガルとの国境では入国審査のようなものがあるのか?と訊ねると、彼は「そんなものはないよ。とにかく今度来る列車に乗れば問題なくポルトガルへ行けるさ」そう教えてくれた。禿げ上がった頭、大きな耳たぶ、彼は俳優の大滝秀治氏によく似ている。


列車は思いのほか混んでいて空席は見あたらない。僕は仕方なくドアのところに立って外の風景を眺めていた。「それにしても毎日毎日よく降るものだねぇ」ふと、横を見るとさっきの大滝秀治。同じく座席が見つからない様子で、立ったまま窓から低く垂れ込めた雲を見上げてそうつぶやいた。彼が言ったとおり国境には何も無かった。検問所も駅も何も。
鉛色の空の下をミーニョという名の川がとうとうと流れている。連日の大雨で川の水は茶色くにごり、橋が流されそうなほど水かさが上がっていた。列車が橋を渡り終えると大滝秀治がこちらを振り返る。あたかも「ほら、国境を越えるのなんてわけないことさ」という感じで肩をすくめ、嗄れ声で言った。「ポルチュガル・・・」


夕方、ポルトの駅に着くころには天気は荒れ模様になっていた。その後、どこに行っても冬のポルトガルの悪天候は変わらず。異国情緒漂うリスボアの街並みよりも、毎日のように通った映画館の方が僕の記憶に残っている。考えてみたら「印象の薄かった場所の話」もまた誰の得にもならない(笑)


2007年3月記


今日の一枚
”雨の日の路面電車 ” ポルトガル・リスボン 1997年


ラゴス・クリスマス・スペシャル

  ポスト・スクリプト ~ それから

僕の他愛もないポルトガル旅日記に日本の名優の名前を出してしまい、恐れ多かったと後悔の念を持つと同時に、それ以後この人のことがなんとなく気になるようになった。

俳優・大滝秀治さんが先日(2012年10月2日)に亡くなった。劇団民芸代表。享年87歳。
所属劇団の舞台では晩年まで主役を演じていたそうだが、僕にとって大滝さんのイメージは「燻し銀のように光る名脇役」。主役を張る煌びやかなスーパースターがいれば映画や演劇が名作になるわけではない。脇を固める名優がいておそらく作品はぐっと厚みを増す。おそらく大滝秀治さんのおかげで救われた作品も多いのではないだろうか。

戦後の高度経済成長からバブルまで右肩上がりでアジア一の経済大国になった日本は、まさに主役を張るアジアの中の煌びやかなスターだった。しかし、その人気にも陰りが見え始めそのネームバリューだけではなかなか客を集められなくなった。
それでも、かつてのスーパースターは「アジアの主役は俺しかいない」と信じている。日本の政治家たちは未だに自国を称して「アジアのリーダー」と呼ぶ。周りにはピチピチとした若い新興国が頭角を現し尖がった演技でブイブイ言わせているのに(笑)老いたスターは無謀にも彼らと張り合おうとしている。

周りくどくなってしまった。一言でいうと「そろそろ日本は主演男優賞ではなく助演男優賞狙いに切り替えたらどうか」という提案だ。
それには考えを改めなくてはいけない部分が多々ある。まず、自分がアジア経済圏、コミュニティーの一員であると自覚すること。そして、それを後押ししてゆく献身的心構えがなけばならない。主役を張っていたときには遥か海の向こうの劇団の演目ばかり気にしていた役者も脇役にまわれば自分の劇団の芝居に真摯に向き合えるようになるのではないだろうか。利己的にならず劇団全体の利益を考えるようになるのではないか。

主演、助演というのは順位ではない。これらは全く別の役割である。助演には助演のプロがいる。したがって、主役が張れなくなったからといって簡単に脇役にまわれると思ったらそれは大きな間違いだ。でも、このままだと廃業という瀬戸際で新たな芸風にトライしてみる価値はある。芸暦60年以上の大滝秀治のような名演はすぐにできないけれど、もしかしたら役の新境地が開けるかもしれない。

2012年10月記




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