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スローガン


フランスというやつがどうも苦手だった。アメリカという国に最初に接してしまった自分は、おそらく多くのアメリカ人がフランスに対して持つイメージと同じものを持ったのだ。

「ハーイ」と店に入って行き「次!」とぶっきらぼうに呼ばれ代金を支払い、「さいならっ」と立ち去る国民にとっては、「こんにちはムッシュ」「こんにちはマダム」「これとこれお願いします」「他にはなにか?」「いや、それだけで結構です」「いくらです」「ありがとうマダム」「さようなら」「さようなら」というあまりにも丁寧な会話さえなんだかイライラする行為なのかもしれない。
吐き捨てるように「Thanks a lot! Bye.」というのを美徳とする人たちにはフランスよりお隣スペインのがさつさやぶっきらぼうさの方が合っていると思う。他でもないあの頃の僕がそうだったから・・・


初めてフランスを訪れたのは1992年のことだ。ニューヨークからロンドンに渡り、暮れも押し迫ったころ僕はロワッシーの空港に降り立った。本当はのんびりドーバー海峡を船で渡りたかったが、あいにくひどい風邪をひいてしまい移動は飛行機になった。
ところが、僕が出会ったパリはNYに比べると風景はモノトーン。物価も高かった。言葉も通じないし、通じないから人の温かさを感じない。そんなわけで初めて見るエッフェル塔も僕にとってはそれほど感慨深いものではなかった。正直に言うとパリの街を歩きながら、僕は次に向かうスペインの日々を頭の中に思い描いていたのだ。

しかし、フランスという国の持つ不思議な魅力は何度か訪れるたびに、まるでボクシングのボディーブローのように効いてきた。
その心境の変化は何が原因か考えてみた。アメリカとの決別、おそらくそれもあった。パリに行く機会が増えたこともある。少しだけフランス語が話せるようになったこと、それも確実にある。それともうひとつ。「スローガン」というフランス映画を見たことだ。P.グランブラ監督の1969年制作のラブストーリー。それより、J・バーキンとS・ゲーンズブール主演のあの映画だといったほうがわかりやすいかもしれない。
憂鬱な現実社会とはかけ離れたふたりの世界が、フランス流のユーモアとサイケデリックな背景とともに明るい色彩で描かれている。この映画から連想する季節は春だ。作品がきっかけで私生活でも一緒になったJ・バーキンとS・ゲーンズブールにとっても最も輝いていた時期、人生の春だったのではないだろうか。
それまで僕がフランスに抱いていたイメージは前述のように「モノトーンの世界」であったから、この映画に出てくるパステルカラーでウィットに富んだイメージはフランスに対する僕の印象を大きく変えた。と同時に僕はバーキンが好きになった。(彼女はイギリス人だけれども)ゲーンズブールが好きになった。フランスが好きになった。ひとの好みというのはそれほど単純だ。

今でもパリを歩いていると「スローガン」の中の風景に出会う。主人公のセルジュが愛車ブガッティを止めていた駐車場も、ガソリンスタンドも、もちろんふたりがクルマを走らせたシャンゼリゼも・・・パリの風景はすこぶる保存状態が良い。気の早い春風が吹く頃ならさらにいい、いとも簡単に「スローガン」の世界へと誘い込まれる。

パリのプレイガイドの前を通ったら、J・バーキンのコンサートの告知を見つけた。早速、席を確保してテアトル・シャンゼリゼへ向かう。観客は一体どんな年齢層か興味があったが、やはり自分よりは少し上だったようだ。やがて、幕が開き年輪を重ねたバーキンが昔のままの声でステージに現れた。
1992年の僕には、パリでJ・バーキンのコンサートを訪れる自分の姿は全く想像できなかっただろう。パリという街やフランスの文化に対する良い印象も悪い印象も、結局は姿身に映った気まぐれな僕の感情の起伏に過ぎなかった。街や人々には何の過失もないし、エッフェル塔は100年も前からそこに立っている。

2006年12月記



今日の一枚
” エッフェル塔と男 ” フランス・パリ 1992年




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