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サンチアゴへの道


クリスマスを最もクリスマスらしいところで過ごしてみたい。誰もが一度は考えそうなことである。ならば「由緒ある教会」で。これもまた、誰でも一度は考えそうなことである。キリスト教徒ではない自分も年に一度くらいキリスト教徒のふりをしたってバチはあたるまい。というわけで、その年のクリスマスイブはスペインのサンチアゴ・デ・コンポステラの教会で過ごすことに決めた。

9世紀にこの地を訪れた羊飼いが聖ヤコブの遺骸を発見。聖ヤコブとはキリストの弟子、12使途の最後の殉教者なのだそうだ。サンチアゴ・デ・コンポステラのカテドラルはそれを祀るためにこの地に建てられた。つまり、欧州でも屈指の伝統と格式を持つカトリック教会なのだそうだ。棺の中にあるヤコブ遺骸の真偽のほどは別として、少なくともカテドラルの建築が外観も内部も荘厳で素晴らしいということだけは十二分に伝わってきた。まるで古いお寺のように朽ち果て、苔生した感じがいい。

さて、それほど格調高い教会に来たのに僕は大失敗をしてしまった。予定よりかなり早く旅の日程を消化してしまって、クリスマスの1週間も前にコンポステラに着いてしまった。そのまま1週間粘っても良かったのだが、教会以外は何もない街である。とうとう、痺れを切らして僕はクリスマス前にこの街を離れることにした。「クリスマスにサンチアゴ・デ・コンポステラのカテドラルのミサに参加する」という旅の主題自体が「ボキッ」と折れてしまった。こんなことで良いのだろうか。


コンポステラから乗ったバスの中で運転手と客の老人たちがこんな話をしていた。「昔はねえ。サンチアゴ参りなんて何百キロも歩くのが当たり前だったよね。でもさ、最近はラ・コルーニャ辺りまで飛行機で飛んできちゃってさ。そこからはせめて歩くのかと思ったらバスだものねぇ」なるほど“El camino de San Tiago”(サンチアゴの道)の話は聞いたことがある。フランスからスペイン・ガリシア地方にあるこの教会に向かっていくつかの巡礼路がある。首から帆立貝をぶら下げ、杖をついた巡礼者たちがサンチアゴを目指す。そして、無事教会にたどり着いた巡礼者たちはミサに参加する。汗で汚れた体を清めるために、天井から鎖でぶら下げられた大きな釜に入ったお香が、ぶんぶんと巡礼者たちの頭上で振られるのだ。

今でも歩いてサンチアゴを巡礼する人はたくさんいる。実際、僕も若い巡礼者たちと話した。彼らはほとんどお金をかけずに教会や一般家庭の善意で食事や宿を提供してもらっていた。ただ、現在の巡礼の旅はレジャー的な要素も盛り込まれているようだ。例えば、季節が良くなると欧州のあちこちから自転車でサンチアゴを目指す人たちもたくさんいる。


バスの乗客たちの話を聞いて、あれこれ考えるうちに「クリスマスだからサンチアゴのカテドラルに行く」という僕の巡礼が、なんだかひどく軽薄に思えてくるのであった。クリスマス前に僕がこの街を去った本当の理由は日程が合わなかったからではなく、きっと、この教会の持つ威厳と熱心な信者の前に薄っぺらな自分を晒すのが恥ずかしくなったからだ。今になってそう思う。


2006年12月記



今日の一枚
”カテドラル ” スペイン・サンチアゴ・デ・コンポステラ 1997年


 ラゴス・クリスマス・スペシヤル




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