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スカーフを被ったアスリート


夜中にテレビのスイッチを入れた。ちょうど国際陸上競技大会の女子200m走の決勝が始まるところだった。

選手が位置について、ピストルの合図と共にきれいなスタートを切る。まもなく、スカーフにスパッツ姿の選手がするすると集団を抜け出してきたと思ったら、そのままトップでゴールインした。アジアの競技大会ではあったが、陸上短距離にイスラムの国の女性アスリートが出てきて金メダルをとるという事実が僕には新鮮だった。それとも、最近ではごく普通の光景なのだろうか?

少なくとも僕が今まで訪ねたことのあるイスラムの国では「女は内、男は外」という役割分担が明確だった。女性は「外の社会」に対して公然と自らを晒すことはあまりない。僕の仕事は「人の写真を撮る」ことだからこういったイスラム教国では女性の写真を撮るのに苦労する。いつの間にか「イスラムの国で撮るポートレイトにはずらりと男の顔が並ぶのだ」という半分諦めのような覚悟が芽生えるようになった。


さて、そういう意味では中国新疆ウイグル自治区・カシュガルでのセッションは僕にとってうれしい誤算。なぜなら、女性たちは実にのびのびとしていて元気でオープンだったからだ。男女の職種の別こそハッキリしていたが、女性がいきいきと仕事をしていた。

新疆で女性の職業の代表格といえば「仕立て屋」だ。店は街のいたるところで見かける。カメラをぶら下げて通りを歩いていると窓から覗く女性と偶然眼が合う。作業が退屈になったのか、かなりの確率で彼女たちは外をボーッと見ているからだ。僕と眼が合うとクスクスと笑い始める。ドレッド風の髪型の日本人は彼女たちとっては格好の暇つぶしのネタになるのだろう。

やがて、何人かの女の顔が窓から覗いたと思ったら、中から手招きをするではないか。きれいな女性には弱いからこちらもフラフラと店の中に入って行ってしまう。仕事場には手動ミシンが2、3台並び若い女たちが縫い物をしている。歳は10代半ばから20代前半といったところだろうか。カシュガルの女性は純粋だから、僕を呼んではみたものの最初は恥ずかしがって写真を撮らせてくれなかったり、冗談半分に肘鉄を食らわすこともある。しかし、数回通うと大概OKしてくれた。そうなると後は「綺麗に撮ってあげる」ことが僕の写真家としての礼儀。

一日中街を歩き回って写真を撮った後に、僕がよく訪れた場所は「カシュガル師範学校」のグラウンドだった。師範学校はキャンパスそのものがモダンな学園都市になっている。夕方になると土埃をあげながらサッカーの試合が始まる。やがてコンクリートをひな壇状にしただけのシンプルなスタンドに若いカップルたちがやってくる。どうやらここは定番のデートコースらしい。シルクロードの西日を浴びながら、コンクリートのスタンドに腰を下ろそうとするふたり。ここで、女性はちょっとためらう。なぜなら、コンクリートの上にはうっすらと土埃が積もっているからだ。すかさず男性がポケットからハンカチを出して敷いてあげる。 やがて、ふたりはとりとめのない話を始め、純真なウイグル人の男性はカノジョにからかわれて頭をポリポリと掻く。面白いことにどのカップルもほぼ同じ行動パターンをとった。


イスラムの国々における「男女平等」の問題は長らく議論されているが、一部の非イスラム教国のスタンダードに合っていないからといって、例えばイスラムの伝統的な社会のしきたりや制度を頭ごなしに否定してしまうのはどうだろうか。これはあくまでも僕の意見だ。いつかは、その古いしきたりを少しずつ変化させなければならないときが来るだろう。そういったときに当事国が自主的に変えて行けばいいのではないか?批判する側される側、持つべきものは相手の文化を尊重する気持ちと僅かな柔軟性だけのような気がする。


2006年11月記



今日の一枚
” 仕立て屋 ” 中国・新疆ウイグル自治区・カシュガル 2006年


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