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さよならYS-11


僕の趣味嗜好ときたらまるで子供のようだ。小学生の男の子が好きそうなものはだいたい好きである。例えば乗り物。車も飛行機もいまだに興味の対象だ。


それでは、例えばどれくらい飛行機が好きかと言うと。自家用ジェットで世界を飛び回っている。(そういえば昔、マルタという島で自家用lクルーザーで世界中を周っているという男に出会った)残念ながら僕の場合は本物の自家用ジェットではなく、フライトシミュレーターの中でのお話。
実際に飛行機に乗ると、僕はまず安全のしおりで非常口を確認する。(笑)機体のモデルを調べ、搭載しているエンジンのメーカーを調べる。離陸する滑走路の方角を確認し、その後は座席前のモニターに眼を移して、高度と速度をチェックする。フラップを上げるタイミングを勉強し、水平飛行に移ってからはルートと通過都市を確認する・・・とまあ、こんな感じで機内の僕はなかなか忙しい。それでもまだ、パイロットの制服や時計やカバンを手に入れたりするほど重症には至っていない。


さて、今回はなぜこんな奇妙な話から入ったかというと、YS-11という国産唯一のプロペラ旅客機が日本の空から姿を消すというニュースを眼にしたからだ。1962年に初飛行をしたこの旅客機、もう長い間「これで最後」と言われ続けているような気がする。しかし、今度はどうやら本当らしい。

実は「まもなくYSが現役を引退する」という噂を聞いてこのプロペラ機に乗ったことがある。もう15年以上も前のことだ。当時、社会人一年生だった僕は、9月の初めに上司から「キミ、遅くなったけどあさって辺りから夏休みどうだ」といきなり言われ、あわてて同じビルにある旅行代理店に駆け込んだ。とりあえず、長い時間YSに乗れる路線という条件のみで行き先を決めたら八丈島になった。ただ八丈島に行ってもつまらないので自転車を持ち込んだ。分解したMTBは荷物の重量制限を僅かにオーバーしていたが離島線の温情で無料にしてもらった。

羽田を離陸した僅か64人乗りのプロペラ機は、人に優しい高さを人に優しい速度で飛び続けた。ロールス・ロイス製のエンジンがまわすプロペラの音は少しうるさいが、ジェットエンジンと違ってこれなら万一エンジンが停止しても一目で分かる。ひらひらとはためくカーテンの向こうにはギャレーと操縦席があるらしくアテンダントがポットのコーヒーを紙コップに注いでいるのが見える。

そういえば、友人がギリシャでこの飛行機に乗ったそうだ。滑走路に向かう途中、カーテンの向こうでパイロットが操縦しながらタバコをふかしているのが見えたと言っていた。もしかしたら本当かもしれない。それほどYSのもつ雰囲気は牧歌的だった。


僕の八丈島での休暇は夏の名残を十分に満喫できた4日間だったが、最終日は朝から雷雨で大荒れの天気となった。東京から飛んできたYS機は悪天候でアプローチできず、そのまま空港の上空を通過してしまった。機がすぐ南にある青ヶ島の辺りをぐるっとまわってきて再度アプローチに入る。これで降りられなければ東京に引き返し、折り返しのフライトはキャンセルされる、という旨のアナウンスが空港内に流れ、降りてくるYS-11を送迎デッキで祈るように見つめた。YSは無事着陸した。なんだかあのちっぽけなプロペラ機が頼もしく見えた。

八丈島空港は地上係員も1人だけ。たくさんの仕事をこなさなければならなくて大変そうだ。預けた自転車がかなり重かったので、自分でコンテナのそばまで運んであげた。搭乗が終わり、先ほどの地上係員がビニール袋に入った乗客名簿をアテンダントに手渡すと、扉が閉まった。まもなく僕を乗せたYS-11は再び羽田に向けて離陸した。


2006年9月記



今日の一枚
”YS-11” 日本・東京都八丈島 1989年




fumikatz osada photographie