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カナリア諸島にて


「モロハブレまで20km」という標識を見て気持ちが沈んだ。モロハブレとは僕のアパートがある集落のことだ。太陽は水平線に沈もうとしている。歩道のない道の端を歩く僕の隣を100キロ近いスピードでクルマが走り去って行く。路上にはその車たちに撥ねられた野生のヤギの死体がたくさんころがっている。見開いたヤギの眼がこちらをにらむ。「このまま暗くなって、あのヤギたちと同じ目にあったら」と考えるとゾッとした。


シンガーソングライター・大瀧詠一のアルバム「A Long Vacation」。カナリア諸島という名前を地図で見つけた時に僕が真っ先に思い浮かべたのは、そのレコードジャケットとそこに収録されている「カナリア諸島にて」という曲だ。1981年の作品だから、もうずいぶん昔の話になってしまった。ジャケットにはイラストが描かれている。プールとパームツリー、その向こうには午後の海が見える。穏やかな曲調とイラストによって僕の頭の中にできた「カナリア諸島」のイメージは「楽園」。しかし、実際のスペイン領・カナリア諸島は自然がむき出しになったもっとワイルドな場所だった。

とりわけ、フエルテヴェントゥーラというその島は砂と強風にさらされた石ころだらけの島だった。それは、僕がそれまで経験したどこよりも「地球らしくない」風景。「楽園」というよりむしろ「地の果て」のような景色だ。
しかし、過度に開発されていないということは、裏を返せば環境が良いということでもある。したがって、その島での僕の生活は快適そのものだった。毎朝、ドアノブに引っ掛けた巾着袋に配達されるパンで弁当のサンドイッチをこしらえて、僕はMTBに乗っていそいそと冒険に繰り出した。けれども、未舗装の道にはところどころ大きなクレバスがあり街灯もない、日没の時間と帰り道の距離を念頭に入れなければならない。舗装された幹線道路であってもアップダウンが思いのほかきつい。

そんな理由から、自転車での移動を諦め路線バスを利用するようになったある日、僕は集落に戻るバスの停留所が見つからず終バスを逃してしまった。目の前の道路を猛スピードで走り去る終バスに思い切り手を振ったが、運転手は僕を見て無情にも首を振った。こんな地の果てのような島で、停留所がみつからないバカモノ・・・いや、若者が終バスに向かって手を振っているのに・・・


しかたなく、僕は集落まで歩く覚悟を決め、ほどなくその「モロハブレまで25km」という標識に出会ったというわけだ。
自分を励まさねば・・・「高校のマラソン大会は37kmだったな」とか「毎日6、7kmは歩いて街の写真を撮ってたな」とか、人は窮地に追い込まれると、記憶の重箱の隅っこにある驚くべき「小ネタ」さえも探し出して自己啓発の道具にするものだ。
思い直して5kmほど歩いたところで、後ろから来た4WDが100mほど先に停車した。女の子が2人クルマから降りてきて夕景を眺めている。「このチャンスを逃したらあとがない」僕は息を切らして走った。そして、気がついたときには彼女たちに乗せてくれるよう必死に頼み込んでいた。もう高校のマラソン大会なんてどうでもよい(笑)
すっかり薄暗くなった見晴台の駐車場で、ふたりはこちらに背を向けてなにやらヒソヒソと会議を始める。時々聴こえてくる知らない言葉の一言一句に耳を澄ませながら、僕は掌にじっとりと汗をかいていた。
やがて結論が出た。めでたく僕は4WDの後部座席に座る権利を得たようだ。彼女たちはドイツ人観光客だった。集落に着くとふたりはタバコを咥えたまま後部座席を振り返り「おにいさん『モロヤブレ』だよ」と言った。


夕食を作るころになるといつも強い風が吹き始めて、風は一晩中吹き荒れた。その風に乗って対岸の西サハラから今夜も新しい砂がこの島に運ばれてくる。こうしてフエルテヴェントゥーラ島はますます「地の果て」の様相を呈していくのだ。

僕がもし「カナリア諸島にて」というタイトルで曲を作るとしたら・・・ジャケットはおそらく「石ころだらけの大地とサボテンの写真」になるだろう。


2006年2月記



今日の一枚
”サボテン” スペイン・フエルテヴェントゥーラ島 1993年




fumikatz osada photographie