<< magazine top >>








カーニバルの島を僕は忙しく後にした


カーニバルとはブラジルのものだと思っていた。いやはや、これは大きな誤解だった。カーニバルとは何百年も前から欧州にあったキリスト教の習慣なのだそうだ。そういわれてみればベニスにもニースにもカーニバルがある。
改めて「Carnival」のスペルを見たら「carnis=肉」というラテン語がちゃんと入っていた。なんだ、これ謝肉祭のことじゃないか。
ただし、サンバのリズムに合わせて踊りまくるという中南米のスタイルは、植民地時代にアフリカ文化と欧州文化が交じり合ってできたもの。

スペイン領カナリア諸島のカーニバルはその中南米のサンバのスタイルだ。もともと欧州の文化であったものが南米で形を変えて再び欧州に戻ってくる。こういうのを「文化の共鳴」というのだろうか。
祭りのシーズンは2月。最も有名なのはテネリフェ島のカーニバルだろう。残念ながらテネリフェのものを僕は見たことがないが、グランカナリア島で大きなカーニバルに遭遇した。ブラジルと違うのは道路を閉鎖して踊るというスタイルではないところ。メインステージに次々と連が出演して演奏とダンスを競う。
祭りの晩、欧州はもちろん、対岸のアフリカからもたくさんの見物客が訪れてラスパルマスの街は大変な盛り上がりを見せていた。まさに年に一度の島の大イベントという感じだ。ここカナリア諸島で祭りのシーズンが終わると、大西洋の向こう側のブラジルがカーニバルシーズンに突入するという。なんともスケールの大きな話だ。


僕はそのお祭りを十分に楽しんだ。楽しんだのだが・・・・まずいことに気がついた。イベリア半島へ戻る飛行機の空席が全く無い。チケットを買いに行ったら帰りの観光客で1週間先まで満席。カーニバルの存在すら知らなかった僕には全く予想外の出来事だった。

「さて、どうしたものか」と考えながらバルでビールを飲んだ。「カーニバル会場でセネガル人の観光客に『自分たちの船に乗らないか?』と誘われた。あの時、話に乗っておけば良かったのだろうか・・・しかし、彼らは沖合いに母船を待たせていて、小型ボートで上陸したと言っていたな。それは不法入国というものではないか・・・」 あれこれ考えているとバーテンに「お兄さん、なに悩んでいるの?」と突っ込まれた。そう、僕は考え事がすぐに顔に出てしまうのだ。理由を説明したら「なんて些細なことで悩んでいるんだ。街はカーニバルなんだよ」と励まされた。

それにしても、もうかれこれ2週間以上もカナリア諸島にいるのに、さらに1週間僕はここで何をすればよいのだろうか。日本に帰国する日程を考えても、そろそろスペイン本土に戻らねばならない時期だった。だが、仕方がない。その夜、宿の延泊を申し出て、僕はグランカナリア島でもう1週間過ごす覚悟を決めた。


しかし、朗報というのは思いがけず舞い込んでくるものだ。港に行ったら船の切符がまだあるという。しかも出発は1時間後。切符を購入し、急いでペンションに戻って荷造りをした。さっき延泊すると告げたばかりの受付のおばあちゃんに「チェックアウトするよ。船の切符が取れたんだ」と告げる。「いつだい?」「今夜」「てんまーぁ、今夜かい」と急なことで驚いた様子。自分自身も驚いた。たった30分で状況がこれほど変わるとは・・・

息を切らして港に行き、そのまま乗船した。程なく船は出港した。まさに滑り込みセーフ。カディス港到着は午後6時半。翌日かと思っていたら3日後の夕方だった(笑)こんな感じで、カーニバルの余韻に浸るカナリア諸島を僕はあわただしく後にした。


2006年2月記



今日の一枚
”カルナバル” スペイン・グランカナリア島 1993年


イードと正月の共通点




fumikatz osada photographie